『人はなぜ踊るのですか』 05/06/05 宮尾慈良さん

-6/5放送
宮尾慈良さん
テーマ:「人はなぜ踊るのですか」
今回のお話で一番面白かったのは、「舞踊」というものの、地域での軸と、時間での軸と、両方の視点から、まったく新しい話を聞かせていただいたことだ。「サケ」と言えば、自動的に米で作ったアルコール飲料のことだったのが、世界中からいろいろ入ってくるようになって、概念が広がって、「サケ」だったものが「日本酒」になり、「サケ」は、嗜好品のアルコールをさすようになった。それと同じような概念の広がりが、「踊り」にも当てはまるようだ。座って踊るもの、無音で踊るもの、エトセトラ。そして、「楽しみ」のために人間が踊るようになったのは、歴史的にそう古いことではないことも。
人類は、その黎明期には「好きなことをする」動物ではなかった。今日、アートや娯楽に属しているものは、古くは祭事だったり、医療だったりした。そう常々思っていたが、それが舞踊についても裏付けられて、とても興味深かった。人間が「好きなことをする」ようになったのは、生活が豊かになって、精神的にゆとりができるようになってからだ、という指摘、前回のテーマ「家族」と通じるものがある。
ところで、日本には舞踊がないということだけど、それについて個人的には特に憂いを感じない。岡田くんも何となく言っていたけれど、私も、V6のコンサートで「愛のメロディ」の振りは一万人とあわせてできる。それは、V6を愛すればこそ、誰から強いられることもなく自発的に覚えてやっていることだ。岡田くんは「トランス」という言葉を使ったけれど、精神的な一体感を含む、他では味わうことのできない幸福感がそこにある。それこそがダンスの効用かと。コンサートはまさしく祭である。それと同等の愛情を日本という国家に対して示すことは、今の時点では心情的にできないと思う。そこまで日本の敗戦の傷は癒えてはいないだろう。戦後に生まれても、敗戦の傷はある。ただ、昨今の様子を見る限り、それは徐々に回復しているように見える。
ところで、向田邦子のエッセイに、日本のオーケストラは、ちゃんと世界に通じる音を出せるのを知ってほっとした、という話が出てくる。他の国では、もともと自国にあった音楽に、オーケストラをが引きずられて、妙なニュアンスがついてしまっていることが多いのだとか。日本人の、この模倣性、学習能力の高さこそが、「日本人であること」だと私は思う。今、日本に様々のダンスがあり、それぞれ高いレベルを持って層が厚いことも、それを裏付けているように思う。それを誇りに思う、という流れを作れることを、今回のお話を聞いたあと、強く思った。