物語考>「燃えよ剣」再び

V6のラストコンサートの翌日、さすがに寂しさが募って、ひとり鬱々と過ごしていました。深夜の三宅健さんの生ラジオも聴き、インスタライブも見て、最悪のどん底からは救われたものの、完全浮上とはいかず。

そこへ、「燃えよ剣」の舞台挨拶のニュースが入って来たのは、何て素晴らしいタイミングだったでしょう。師範が、中居さんからメンバー全員にプレゼントされたという名前入りの靴を披露していました。そして、V6の他メンバーを映画に因んで「5人のバラガキ」と呼んでいたのが、愛情を感じて、何だか気持ちが楽になりました。結局これ。

そこで、急に思いついて昨夜、再び映画館で観てきました。祝日とあって混んでいて、前の方の席しか空いていませんでした。いきあたりばったりだと、こんな感じなんですね。でも、前回分からなかったことが、かなり分かってより面白い、良い鑑賞でした。

正直に白状すると、1回目では襲撃や戰のシーンのたび、そのリアルさに慄いて、戦う人たちにむらむら腹が立ってきたのでした。「人ひとり産むのも育てるのもめちゃくちゃ大変なのに、殺すのはどうしてこんなにあっさりなの? 人の気も知らないで!」と心の中で力いっぱい罵倒しました。戦とは言え、せめてその苦労に見合うだけの敬意を命に払って欲しいよ、と。初見では、いかにショッキングなところばかりに気を取られてしまうかってことですね。ファブルもそうでしたけど。

2度目からは、もうちょっと落ち着いたので、色々なものが見えました。

新撰組のメインメンバーにしろ、会津侯にしろ、純粋な人たちが、そうでない人たちに梯子を登らされた上、勝手な都合で梯子を外されて破滅していくプロセスが、丁寧に描かれていました。急カーブを切った日本の歴史の犠牲者とも言えるでしょう。

黒船来航からこっち、日本中が不安定になった幕末です。「尊王攘夷」「開国」「夷狄」そんな言葉が物語の中でたくさん飛び交っていました。個々の間でも思想がまとまっていかないのも、たくさんの小競り合いでわかりました。こういうところを、初見ではスルーしてしまっていたのですね。

日本史で習ったことで言うと、日本のトップの人たちは、列強に対抗するために、強力な中央集権に舵を切ることを考えていたようです。幕府が統治者である帝を護り抜く形を取るのが、そのひとつ。ここが、会津京都守護職を仰せつかり、実働隊の新撰組会津藩預かりになった理由、と。この辺りの企み事も、物語ではしっかりと描かれていたのですね。

一方で、上の思惑で志士の弾圧が行われました。新撰組池田屋事件が、ハイライトです。ここは、誤魔化しなしの死闘でした。怖かった! セットもリアル過ぎ。

この騒動が無ければ、会津戦争もなく、新撰組のメンバーもあそこまで追い詰められることはなかったのを思うと、勝利も苦く感じてしまいます。「ノーサイド」はやっぱり大きな知恵なんですね。気のせいかも知れませんが、今の京都の街を歩く時、京都人の「外からやって来ちゃ町を滅茶苦茶にする田舎者」への嫌悪をふと感じることがあります。新撰組に好意的でない人もいます。歴史を思えば、無理もない事です。

やがて、公武合体は失敗し、薩長同盟が成立し官軍となり、旧幕府を逆賊にして滅ぼすことで終結します。この最後の戊辰戦争のただならぬ酷さが、前回感想で書いた会津旅行での学びだった訳です。物語で見ていくと、負け続きで転戦する新撰組が哀れでなりません。でも土方さんはひとり、心が負けてないのが不思議でした。

主人公の土方さんは、大局を見ているようでいないような、その場その場の戦闘に集中しているだけのような、それでいて、指揮官として極めて優秀だったという、不思議な存在に見えました。「義」を立てて事を進めようとしている人たちと、対照的です。作家は、彼を武のアーティストと位置付けています。土方さんには、戦いは手段ではなく、生きる事そのものだったのではないかと。

先の大戦あたりまでは、さほど光を当てられることのなかった新撰組を今日までポピュラーにしたのは、他でもない「燃えよ剣」作者の司馬遼太郎だったと言います。因みに坂本龍馬もです。「司馬史観」と呼ばれる独特の視点は、批判も大きいのですが、その魅力を日本人が忘れる日はもう来ないと思うのです。それは、日本が敗戦国だから、ではないでしょうか。勝つことだけが生きる目的だったら、行き場がありませんから。

日本人の作る戦いの物語が、マーベルなどと明らかに空気が違うのは、ここではないかと踏んでいます。

 

今日はここまで。

では