さてさて物心ついた頃から、突発的に粘着質に調べ物をする、という性質を持っています。INTJの基本性格です。ちなみに手相にも頭脳線から二又に枝が出る「好奇心線」が、これでもかとばかり深く長く刻まれております。
そのきっかけは、多くの場合、人の何気ない言葉からです。我がアイドルからは武道や戦国史を。そして、他にもいくつもあります。
以前、一番好きな花屋「カタル葉」さんの話をしましたが、ブーケを販売する傍ら、北関東を中心にフラワーアレンジメントの教室を開いておられます。
私は未経験ですが、娘は数回参加していて、その教室ではブーケやアレンジメントやリースの作り方を教わる以上に花にまつわる様々な話をしていただけて楽しい、と聞きました。
先生は国立大学の園芸学科出身で、娘によれば、先生の知識はそんな植物学以外にも世界中の神話についても無尽蔵で、話の面白さはそれはもう大したものなんだとか。
先日書いたナルシス=水仙もそうですが、神話には、人由来の植物や象徴的な植物もたくさん登場しますから。
そんな先生がある日、ギリシャ神話のオルフェウスと日本神話のイザナギの冥界旅行の話には不思議なことに多くの共通点がある、と述べられました。
私こういう謎、大好きなんです。例によってその理由についてネチネチ調べてみました。
どうやら、メソポタミアの人類最古の神話、シュメール神話が共通の源泉だから、のようです。
冥界旅行の話、シュメール神話にありました。
死んだ友人を連れて帰ろうとして叶わず、魂だけを持ち帰ったという王の物語です。
数千年かけて古代ギリシャと日本までモチーフが伝わっていったなんて、イメージしきれないほど壮大なスケールです。
ちなみに、旧約聖書もシュメール神話のモチーフを引き継いでいます。
ギリシャ神話の「デューカリオンの大洪水」と旧約聖書の「ノアの大洪水」は、シュメール神話の大洪水伝説と酷似しています。
チグリス•ユーフラテスの間に栄えたシュメールならではのモチーフです。
ここで考えました。
物事が伝わった経緯なんて、文明が築かれた後のものでさえ、途切れて分からなくなってしまう•••そんなことすら、普段意識しないでいるんだな、と。
この世界が天地開闢からあり、世界の終わりまで今のままでいるかのような錯覚の中、暮らしているんだな、と。
鏡が存在しなかった世界が確かにあった事すらイメージできないように。
もうひとつ考えました。
源泉はひとつでも、よく見るとそれぞれの展開には決定的な違いがあります。
旧約聖書には、ギリシャ神話のような人が他の動植物に変わる「転身物語」がありません。
無機物→人間、人間→無機物の変化はあれど、他の動植物と人間の間の行き来がなぜかないのです。
人間が死して無機物に変化してしまうのは現実です。
原始、神がその逆の流れで人間を作ったという発想も理解できます。
でも、それだけなのですね。
旧約聖書には、人間を他からきっぱりと区別する思想が根を張っているのだと思いました。
むしろ、他の動植物と融和しているギリシャ神話の方が異端なのでしょうか。
人間の内面の多様さは、戦略の多様性を表し、植物の多様さにも通じると感じるので、メタファーとして有効かと思います。
家紋の話や、「七桜」「椿」の名前の話とも、ここで繋がりました。
花や植物の沼は、どうやら思ったより深いらしく、もうちょっと探ってみようかな、と思っています。
今日はここまで
PS.
メタファーで思い出しました。
花には花言葉があります。
生まれて初めて自分の為に作っていただいたブーケには、三本の花が入っていました。
キングプロテア「王者の風格」、紫のアネモネ「信じて待つ」、ホワイトマム「母の愛」でした。
これらを化学合成したような人間を目指して生きるのは、なかなか良いな、と思いました。