タイガー&ドラゴン

昨日、ちょっと某スクールの講座に行ってきた。お仕事系の講座で、企画書作りがメインテーマだった。その話を聞いている時に、以前岡田くんがパーソナリティーをしているラジオ番組GROWING REEDに出演されていた、スタジオジブリのプロデューサー、鈴木さんのお話を思い出した。たくさんダブる部分があることに気が付いたのだった。そのひとつ「やりたいこと」とお金などの「具体性」の両方を天秤にかけながら、企画というのは立ち上がっていくものだ、ということ。一瞬デジャブ。『タイガー&ドラゴン』の磯Pのことも、脳裏をよぎった。

実を言うと、磯Pについては勝手に勘ぐっていたことがある。それなりのステータスのある仕事というのは、いつも「男性基準」みたいなところがある。男性のライフスタイル、物の考え方が、仕事のペースになっていくので、女性は常に半人前のように言われ、仕事ができる人は「女だてらに」とか「女にしておくのは惜しい」とか言われる。これが褒め言葉だと思ってる人、多くってさ。「名誉白人」と言われて嬉しいかという話に近い。セクハラの概念が浸透したから、最近はそうでもないのかな……もとい、けれど、磯Pの場合は、この「作りたいもの」を中心に「面白いものをつくる」のを、女性であることを逆手にとって、「結婚したやらめる」と言いながら実現していた……ように私は思ったんである。ちょっと勘ぐりの度が過ぎたかな。でも、ドラマが面白いから、私もつい伝説を作りたくなってしまうのかも。磯pが、「女性というのは、こうなんです」じゃなくて、「私はこれが好き、私はこうしたい」と言うことも、個人的にとても好きだし。現場の空気がいい、というのも、この業界では実は珍しい現象だというし。

それで『タイガー&ドラゴン』を見ていて、ふっと思ったんだけど、このドラマに限らず、往年のアイドル、みたいに言われた人たちが、そのイメージを逆手にとって、逆にのびのびと演じているのが、チームのカラーとしてひとつあると思う。森下愛子さんや薬師丸ひろこさんが、今までの役柄で世間に浸透している少女っぽいイメージを逆手にとって、むしろ生き生きと演じているところとか。それが魅力的だから、何だかあやしい術にでもかけられた気がする。これにだって、本当は深い意味があるのかもしれない。

木更津キャッツアイ』と『タイガー&ドラゴン』を見て思った。ひとつひとつのピースがばらばらにあって、それがすごく面白い。それぞれには繋がりがないように見えるので、ネットワーキングした全体の構造・テーマみたいなものはないように見える。ところが、全部完結して、何歩か下がって全部を見渡して見た時に、「はじめて」見える絵がある。写真を大量に並べて、絵を描く、みたいな。思わず「あっ、そうか!」と思って再び頭から見直す。一回目に見た時と「まったく違うドラマ」に見える。まったく違う面白さがある。これって、偶然そう見えるんだろうか、それともすべて計算されたものなんだろうか。人生につきものの四苦八苦の制約が、しっかり書かれているのにじめじめしていない。それでいて、非現実的なごまかしもなければ、変にかっこづけた諦めた風もないところが、実はとても新しいと思う。師匠や組長にも若い頃があって夢があったし、小虎や小竜もいつか年をとっていく。十代の頃には天才と騒がれた小竜も……という台詞を聞いた時に、どうしてもモーツァルトを連想してしまった。そう言えば「孤独死」という台詞もあったけど、モーツァルトは貧困の内に死んで、墓もない。だけど、たぶん彼が神童とさわがれた子供の時には、音楽家として、誰よりも華々しい人生を歩むだろうと、誰もが思ったはずなのだ。このままならなさが、ドラマ的だなあ、と。
例によってまとまりがなくなったので、今日はここまで。