永遠の0 二回目見てきました。

永遠の0は、二回目見てきた。
あえて「見てから読む」ことにしていたから、
一回目のラストシーンはかなりショックだった。
で、二回目の方では余計に泣けた。

そして、前々から考えていることをまた思い返してみた。
自分の父親世代に感じた「謎」の部分は、
あの時代に共通してあった戦争体験によるものではないかと。
ちなみに、父は陸軍で、20歳でシベリアの捕虜として終戦を迎えた。
足に残っていた凍傷の跡がとてもリアルだったこと以外、
暗さを感じる事はなかったのが、今でも不思議な感じがする。
悲惨な体験だったことを、長じて書物で初めて知ったくらいだ。

著者の百田さんが言われたように、私たちも、親や周辺の大人たちから
戦争の話を日常会話として聞いた。
だけど、語られない事がある、とあるとき決定的に気がついた。
仲間や家族の誰かが死んだ、という話を、父親もその友人たちも一度もしなかったなあ、と。

容易に語られないことが、実は一番重かったんじゃないかと、
今は感じている。
語られないのは、その人を忘れたからじゃなくて、
本当は一瞬も忘れていないからなのかも知れない。
宮部の妻と、再婚相手の大石さんが、子供にすら
一度も宮部のことを話さなかったのは、そういうことなんじゃないかと。
だけど、「忘れない」でいた人たちも、どんどんこの世からいなくなっていく。
とても寂しくて、焦燥感をおぼえる。
「容易にかたられなかったこと」ほど、ものがたりにしなくちゃならないんだと、
今夜、とても強く感じた。

中途半端だけど、とりあえず今日いちばん言いたかったことだけ。


PS.
ああ、一番肝心なことを書き忘れているとは、私も耄碌したか(早いって)。
岡田くん、いいです。
今まで見た中で、最高です。
ていうか、途中で岡田くんじゃなくなって、宮部さんで、
頼もしい教官で、
松乃さんの優しい旦那様で、
清子ちゃんのお父ちゃんでした。