『ムサシ』の雑誌ラッシュ

小栗旬さんのオールナイトニッポン。眠って聞き逃してしまった。
舞台、どんな感じだろう。
とりあえず、客席から笑いがたくさん起こる、ということぐらいしかわからない。

最近、雑誌やネットに『ムサシ』のインタビューが掲載されている。
タイトルに「ラッシュ」なんて書いたものの、数はほどよい感じ。
これからチケットを売るわけでないから、そのための宣伝の意味がないからだろう。
むしろ、舞台中心で活躍していることを、一般に対してさりげなくアピールして認知度を……。
なんて、企業戦略の詮索はやめとくか(汗)。

ただ、ひとつだけものすごくはっきりしたことがある。
これだけインタビューを重ねても、藤原竜也さんは、まったく同じ話を複数回しないってことだ。
しかも、それぞれが矛盾しない。
これは何を意味するか。
少なくとも、インタビュー用に原稿を用意して暗記しておくような類の対策はまったく立てていない、ということ。
その上でインタビュアーの対話の流れで、その都度話をしている、ということ。
そして、その場の思いつきでなく、結論まで到達したことを語るので、すべての話をつき合わせても矛盾しない、と。
ひとつのワールドになっている、と。
そんなことに新鮮な驚きを感じるのは、ひとつの作品のキャンペーンで、同じ話を繰り返す人が少なくないからだ。
役者には、口頭で話すのがひどく苦手な人が多いそうだから、それも原因かも知れない。
だけど、藤原さんのはとても自由で発想が豊かな感じがする。

ところで、井上ひさしさんが、人殺しをして成長したヒーロー、と語ってらしたところに、アンチヒーローの思想を盛り込んだ舞台なのか、と短絡してしまった。
どうも、そう単純なことではないようだ。
藤原さんのインタビューでも、一般の武蔵像のゆがみを訂正するような発言があった。
確かに、晩年の武蔵の著作や絵画などは、彼がただの剣豪ではなかったことを雄弁に物語っている、と思う。
ともかく、舞台を見ないことには。

何となく、話を聞いててケビン・コスナー主演の「ワイアット・アープ」を連想した。
数多くのガンファイトを勝利しただけではなく、ワイアット・アープには、ひとつも弾傷がなかった。
つまり、雨あられのような銃弾を潜り抜け、たくさんの敵を殺し、同じ戦闘に加わった仲間の多くも失ったにも関わらず、彼自身は生涯一度も被弾しなかった。
アープは、若い時に最愛の妻を腸チフスでなくして、それ以来、生きることに倦んでいた。
生きることに対する絶望が深すぎるから、返って死が彼を避けていくような、そんな印象を持った。
武蔵の、連戦連勝の圧倒的な強さは、もっと勝つことに対する貪欲さから来るような気がする。
求道者というか。
戦って勝つのは、やっぱりこういう人だろう、と思う。

……だけど、舞台『ムサシ』は、吉川英治作品ともまったく違うものらしい。
巌流島の六年後? 小次郎は生きていた?
想像もつかない。
見てのお楽しみ、ということ、かな。