「Dr.コトー診療所」見ました。

昨日は、映画を2つハシゴしました。

そのひとつ「Dr.コトー診療所」は、恥ずかしながら推し活の一環です。King & Princeの髙橋海人さんが出演されているからです。昨年夏に同じく出演されている「アキラとあきら」を見た頃は、まだKing & Prince沼につま先だけちょっと触れたくらいでしたのに。もちろん、その時の推し活の対象は髙橋さんではありませんでした。それでも、物語の重要な役割を担って、明暗両方を演じ分けられているのがとても印象的でした。ダンスでパワフルなパフォーマンスを繰り出して、時折高貴な表情までする人と同一人物だと認識するのに苦労しました。いえいえ、番宣のバラエティでのふんわりした空気感もまた完全に別人なので、混乱しました。なるほど「他担狩の海人」と呼ばれてらっしゃるのは、このすさまじいギャップの魅力のせいですね。理解しました。

Dr.コトー診療所」での判斗先生は、映し出されると、若々しく華やかで輝いていて、それでいて若いに似合わず頼もしく、老いて死にゆく者にとって、希望を感じる存在でした。離島の問題は、日本全体が抱えた少子高齢化を濃縮したような、深刻なものだと知りました。すがりつきたくなるような希望を、少なくなった若い人に押し付けるのは心苦しいものですが、やっぱり希望はこれから生まれ育つ人の中にしか見出せません。歳をとると、死ぬ時にはせめてより良い未来の世界を予感して死にたいと願うようになるみたいです。若い人たちが自分のいなくなった未来で輝いてくれるはず、と。

高度成長期の若者と違い、最近の若者は年長者の言うことに盲目的に従うようなことはしません。盲目的な反発もしません。これは、はっきりと進化だと思うのです。時代の変化のスピードに加速度が増しているのが進化圧となっているのだと思います。

余談ですが、故ジャニー喜多川さんは、まだ若いKing & Princeに、自分たちで決めて進めて行くように指示されていたとうかがいます。20歳前後の若者をそこまで信頼して託すのは、新時代がやってくるのを予感してらっしゃったからなのか、と思いました。

話を戻すと、災害医療の現場で判斗先生が主張するトリアージも、社会に認知されて間もない新しい概念だと思います。医療従事者に自己犠牲を強いることなく、合理性をきちんと取り入れて、結果一人でも多くの人を救う、という潮流は、今後ますます大きくなっていくと思います。まさしく新時代の思考法。でも、コトー先生は、土壇場でそれを拒否します。正直、クライマックスでのコトー先生の言動にはイラついてしまいました。これでは「昭和」がますます悪になる。昭和的な考え方とは、一種の(時々行き過ぎた)精神主義のことだと思いますが、それだってその時代を生き抜く為の適応に過ぎなかっただけなのに。

でも、コミュニティの誰ひとり失うまいとする方向に進化するのは、人類の基本デザインでした。忘れてました。だから、コトー先生が医師なのは、職業である以上に生き方なんですね。「職業=生き方」を得られた人は、本当は幸せな人生を全うしたってことも、忘れてました。

シリーズの末の映画化なので、映画だけ見るとそれまでに描かれた背景や人間関係などがさっぱりわからないのは残念でした。それでも島の美しい風景は雄弁で、物語から伝わるものもちゃんとありました。

という訳で、感想でした。

では