名前の話〜King & Prince

名前には2種類あると思います。名乗る名前と、呼ばれる名前です。

King & Prince、キンプリという名前は、退所組には今後使えなくなる、残留組はその名前を守るために残った、と辛い気持ちを持つファンは多いようです。名前を奪われるのも、名前に縛り付けられて己を虚しくするのも、人間にとってはかなり苦痛なことなので、はっきりと分からない分、メンバーの心中を思って悲しむ気持ちは理解できます。

ですが、よく考えると、制限を受けるのは「名乗る名前」だけです。ファンがもし、退所組をも、あくまで「King & Prince」と呼ぶとしたら、それを誰がどうやって制限できるでしょうか。現に自分、子供の頃のたった一度のやらかしで、陰で「大魔神」と呼ばれるのを阻止できませんでした(笑)それは冗談としても、呼び名は呼ぶ人の気持ちの表れです。そこは大事なポイントだと思います。

誰かが言いました。アメリカ人はやっちゃいけないこと以外は、自分の責任で自由にやって良いと考えるけど、日本人はやって良いこと以外は、無意識にやっちゃいけないと考える、と。合理的な理由もないのに、「他の人はやっていないから」と言動に制限をかけ合う事になるので、日本社会は息苦しいのだと言います。アメリカで教育を受けられたジャニーさんが、ご自身が育てたタレントに「YOUやっちゃいなよ」と度々言われたのは、自然な事だったのかも知れません。

ジャニーさんが提供して下さったエンタテイメントは、人間の魂をもっと正しく自由へと導く装置だったのかも知れません。だから、合理的な理由もなく、脱退組を「King & Princeではない」と思い込むことはないと思うのです。ご本人たちの気持ちもあるから声に出すのは控えるとしても、魂は自由ですから。

呼び名については、良い例として岡田師範がいます。師範は、私の知る限り「自分を『師範』と呼べ」とは一言も言ったことないはずです。本当に師範資格を持っているから、実際に師事する人たちは「師範」と呼ぶでしょう。学生が教師を「先生」と呼ぶように。

それとは別に、芸能界でここまで武術・格闘技を極めて、それを表現として活かしきっている生き方があまりにお見事なので、「師範」呼びは、それに対するリスペクトから自然発生して定着したものです。呼んで心地よく、ご本人も照れつつも受け入れてくださっているという、ニックネームとしては最高な呼称となっています。言うならば、師範の生き方と、それを敬愛する人たちとの絆の名前です。

「King & Prince」のメンバーは、ファンを幸せにする、王と王子である事を覚悟を持って引き受けて、自分を磨き続けてここまでやって来たのは、この数ヶ月見聞きしたものだけでも、しっかり伝わりました。1ミリもブレたことのない見事な生き方だと思います。

それだけに、この度の脱退・退所騒動は、知れば知るほど理不尽に感じます。3月下旬に発売されるアリーナツアーの円盤に、どうやら最終的な答え合わせがあるんですね。それで真実が明らかになったとしても、見かけの結果が変わらないかも知れません。

それでもここは考えようだと思うようになりました。童話の王子様やお姫様は、たびたび試練に遭います。「貴種流離譚」というやつです。そもそもKing & Princeは全員ポテンシャルが馬鹿高いグループです。平野紫耀さんなんて、絶対に前世がヘラクレスでしょ。それが故に、これからステージを移動して、いつか途方もなく偉大になってティアラを迎えに帰ってくる。そういう物語の途中に、今いるんだと思うのです。と言いますか、私の勘が正しければ、そんな素晴らしい未来以外あり得ません。その時が来たら、心の中だけで呼んでいた名前を、思いっきり声に出して叫べば良いんだと思います。

 

今日はここまでにします。

では