映画「アキラとあきら」つづき

本題に入る前に。

9月19日の横浜流星さんのバースデーイベントですが、1部2部両方とも配信で拝見しました。我が家から見える場所で行われていると思うと、感慨深いものがありました。横浜さんが流星群とできる限りコミュニケーションを取ろうと努力されているのが、とても印象的でした。だからと言うわけでもないのでしょうけど、「流浪の月」で3万人減ったインスタのフォロワーが完全復活していますね。良かった!

「アキラとあきら」の上映が続行している中、舞台「巌流島」の発表があったり、「線は、僕を描く」の番宣が賑やかになったり、推し活としては毎日楽しいこと続きで、目が回りそうです。ありがとうございます。

さて、本題。予告通り「アキラとあきら」の、山﨑瑛について書きます。これまでちょっと抵抗あって書くのを躊躇っていたのは、こちらの方が私の生い立ちに近かったからです。社会状況と家庭とは密接な関係がある、みたいな一般論を述べつつ、何のことはない、自分のことを言っているという、いつものアレだった訳ですね。彼のように、子ども時代に親の仕事の浮き沈みに巻き込まれて、世の中に怨みを感じたり、将来に強い不安を覚えたりした人は、そんなに少なくないはずです。階堂彬タイプより、ずっと多いはずです。今のコロナ下で、もっとその感じを強く持っている若い人は多いでしょう。

山﨑瑛が子どもだった時、父親の経営していた工場が倒産して、一家で夜逃げします。瑛は、経営が厳しくなった時、手のひらを返して父親を見捨てた銀行を憎みます。ところが、父親が就職した先の会社を救う為に頑張る銀行員に巡り合い、諦めかけていた大学進学を果たします。そして、自分もそんなバンカーになることを志します。彼のビジョンの明暗の舵を切ったのが、2回ともバンカーだったのがとても興味深く感じます。

原作では中高生の辺りで、地元にスーパーマーケットの新規オープンにやってきた北村親子との出会いと、貴重な学びが入ります。ドラマ版ではこの辺りを丁寧に表現していました。経営なるものの一端がわかる描写です。

映画ではそれがなくなった代わりに、入行後、倒産した担当顧客の預金を守った為に地方に左遷されて、その地で零細な企業にもアイデアを尽くして、バンカーとしての職務に邁進する姿が描かれます。これは、原作にはないのですね。山﨑瑛が後々困難な経営の局面を企業と共に切り抜ける高い能力を、どんな風に自分の物にして行ったか、とても説得力あって、ここは好きでした。演じる竹内涼真さんの、内側から湧き出るバイタリティと誠実さとが、役とシンクロして、本当によかったです。

山﨑瑛が口にする「宿命」や「銀行員になった理由」「バンカーの存在意義」は、子供の頃の原体験に基づいているのは、観客にもしっかり伝わってきました。ずっと昔の子供の頃の辛い記憶を「忘れるべきこと」みたいに諭す人がいるんですが、それはたぶん人間というものに対する理解の浅い発言だと、最近思います。

ここから自分語り。これは今まで人に言ったことない事です。お墓に持っていくことになるのはちょっと、と感じたのでこの機会に荷下ろしします。

私が5歳の時に、父親が、勤めていた建設会社から独立して資格をとり、設計事務所を開きました。朝から深夜まで働き詰めに働く父親を間近に見るようになり、「放っておくと死ぬんじゃないのかな」と不安になりました。それからは毎日怖くて怖くて。それが突然「私がお父さんの右腕になって助ければいいんだ!」と閃きました。不安が解消すると同時に、生まれて初めて感じる高揚感に包まれました。そこからは一直線。本当は地元の工業高校を出てすぐ働くつもりだったのが、中学の担任と父親に説得されて、進学校を経て大学に進学しました。そして、あと1年で卒業となった時、父親が過労死しました。不況もあって、仕事を安くたくさん請け合い過ぎたせいです。私が子供の頃に感じた不安は、16年後に的中したのでした。その時請け負っていた施主の1人は、葬式の最中に、「お前らの親父のせいでうちは大損だ、どうしてくれる」と怒鳴り込んで来て、24歳で喪主を務めていた兄が「申し訳ありませんでした」と頭を下げました。私はこういう性格なので、その施主への復讐を企んでしまったのですが、市内の主だった建築関係者がいる葬式でやらかした施主は、その後それなりの罰を世間から受けたと聞いて、思いとどまりました。

そんなことより問題は、16年も一途に目標にしてきたことが消えて無くなってしまったことです。しかも、予期していたことで、それを回避するために必死だったのに、最低最悪の結果になって。単純に愛する肉親をなくした喪失感とは違うんだと、理解する人はそんなに多くないかも知れません。そんな時、映画「衝動殺人 息子よ」を見ました。映画やドラマが救ってくれた、という経験は大小含めてたくさんありますが、たぶんこれが人生最大の救いでした。納得のいかない喪失は、ビジョンを大きく持って行動して、死んだ者の人生をより意味のあるものにすることでしか埋められない、と。

あれから40年以上経つのですが、リベンジのひとつ、建築業界が景気に余りにも翻弄され過ぎる問題は、ほとんど変わってません。そればかりか、バブル崩壊後、母校の建築科の偏差値は不人気のため下がり続けてワーストになりました。私たちの頃は、工学部でトップだったのだから、隔世の感があります。個人的にIT化に活路を見出して頑張ってきたものの、ただ機械に置き換える、というのでは根本的には解決しないようです。これは経験的に。本当は「アキラとあきら」で描かれているような、経営の基本に立ち帰った業界の再構築ぐらいの革命が必要なのかも知れません。

「アキラとあきら」、真剣に自分の仕事に取り組んでいる人たちにこそ、見て欲しいなと思います。お父さん世代も、若い人も。職業を選択する際に、それぞれの事情で色々な思いを胸に抱えた人は多いと思います。人生は有限だし、選択することは他を捨てることなので、惑うこともあるでしょう。仕事って大変だけど、本気で面白くて楽しいことは大体大変なので、そこは問題ありません。問題は、その営み自体に自分で意味を感じられるか、です。そのヒントがこの物語にはたくさん散りばめられていると思います。

長々と書きましたが、今日はここまで。