映画「アキラとあきら」観てきました

8月26日の初日に、映画「アキラとあきら」を観てきました。そして、マイルールに則って原作を読み終え、9月2日に2回目を観てきました。

原作と映画の1番の違いですが、原作では少年時代から時の流れに沿って2人の人生が描かれて行くのに対して、映画では、原作の前半に当たる、2人が銀行の入社式で出会うまでの成長過程をバッサリ切った上、バンカーになって以降の2人の回想として差し入れているところです。その為、巨大企業が巨額の負債に追い詰められて行く緊迫感や、その逆転の爽快感がより強調されています。

初日の映画が物語のファーストコンタクトだったので、登場人物それぞれの、ジェットコースターのような感情の起伏に同調してしまいました。感情を爆発させずぐっと堪えるシーンほど、そうでした。そして、観終わった後、「自分は主人公のように問題解決できる知識や判断力を持った仕事人にはなれなかったな」なんて、寂しさに襲われました。

原作では、山﨑瑛の父親が、就職先の工場の経営不振を正すように銀行員に要求されて、「私は一介の技術屋だし、以前会社も潰した」と断ります。製品自体のクオリティを上げる能力はあっても、経営はそれとは違う能力を要するんだという実感、痛いほどわかります。

そして、バンカーです。彼らの仕事の本質を、この歳になって初めて知ったように思います。もしかして、心のどこかで分かることを拒絶していたのかも知れません。情のない悪い意味での大人の世界だと、高校生の山﨑瑛の思っていたことを私もまた思っていたからです。でも、それは間違っていたようです。

2人のアキラの能力の高さは、経営やマーケティングにおいて、神がかったものだと思います。本当にこんな資質に恵まれた人たちが、物やサービスを生み出す者にしっかり寄り添ってくれていたなら、日本経済はまだまだこれからチャンスはいくらでもあると思うのです。実際はどうなのでしょう。

ところで、原作と映画では、年代が12年ほどずれています。山﨑瑛が少年時代に直面した、父親の工場の倒産は、原作ではおそらくは第二次オイルショックの辺り、映画ではバブルで国内の工業が形骸化した頃ですね。2人の入行時期も、原作はバブルの始まり辺り、映画は2000年。でも、東海ファミリーの危機となったリゾートホテルの巨額負債の時期は、それぞれバブル崩壊リーマンショックという、日本経済の急降下の時期に当たります。どちらもキツかったな、としみじみ思い出します。

そう言えば、私の建築士の父親が過労死したのは、オイルショックの頃でした。建材メーカーに勤めていた元夫が決定的におかしくなったのはバブルの頃でした。日本のあちこちでたくさんの人が同じ波に翻弄されていたはずです。ひとりひとりの人生は社会情勢、特に経済と切り離すことはできないんだな、という思いが強くなりました。まるで大海の中の小舟のようです。

その経験があるから、企業が支えている人々の暮らしや未来を何としてでも護ろうとする主人公2人の戦いに胸を打たれます。それぞれのそれまでの、決して良いことばかりではなかった生い立ちも、ここで意味を持って結実したのだと思うと。

まだまだ書きたいことありますが、今日はこの辺りで。2回目の鑑賞では、やっぱり身内同士のいがみ合いについて、気持ちが集中しました。これは、なかなか身につまされてしんどいテーマではあります。でも、人生の総括だと思って(大袈裟)書きます。

あと、遅くなりましたが、横浜流星さん、竹内涼真さん、お二人とも素晴らしかったです。

ではまた