映画「余命10年」見てきました

公開初日の昨日、仕事帰りに観てきました。映画「余命10年」。

白状しますと、長らく難病物を敬遠してきました。見れば「気の毒だ」と思わないではいられないのに、観終わったらその病が自分や家族のものではないことにうっかり安心してしまいそうで、そうなったら自分がまた一段嫌いになるからです。いえ、同情すること自体「そういうこと」ではないかと。

それと、亡くなった人が不幸だと決めつけそうになるのも我ながらまずいと感じました。人から同情されるのが何より嫌いなのに、自分がそれをするのは違うとも思いました。でも、苦境にあることについての理解はもらえると嬉しいのだから、この辺りは繊細な問題だと思います。その「欲しい言葉」は、最後に和くんが言ってくれました。本当に。欲しいのは、それだけなんです。

もう20年にもなりますが、そんな難病物にまつわるモヤモヤを打ち破ったのが、宮藤官九郎脚本、岡田准一主演の「木更津キャッツアイ」でした。病も死も日常で、すべての人のものだという真理に引き戻してくれました。自分の死はたまらない恐怖で、身近な人の死は絶望的に悲しい、そのリアルは否定せず、その上で悲劇的に描かない、と言う離れ業でした。

その時、病や死をこんな風に「自分の一部」として描き切る物語で、これ以上のものは現れないかもと思ったのですね。

でも、現れました。番宣で、藤井監督の最新作で、難病物?と心が揺れたのですが、絶対に観て後悔はしないはず。そう覚悟して行ったら、期待以上でした。以前、藤井監督は傷ついている人の傍までそっと降りてくるけど、ぐいっとやらない、そこが好きだと書きましたが、その意味でも最高だと思いました。病を持っていても、瑞々しい日常のシーンがあるし、人を愛し愛されるし、笑ったり怒ったりもする。ひとつひとつのシーンが本当に心地良過ぎて、女の子が不治の病だとつい忘れかけて、あ、あと10年ないんだ、と残酷な現実に何度も引き戻されて切なかったです。

個人的な話ですが、今のこの幸せが期間限定だという想いが歳をとる毎に強くなって、じゃあ全力で楽しもう!無駄で無意味なことを考えてる暇はない、と考えるようになりました。因みにこれは、「ワイアット・アープ」の2番目の奥さんから教わりました。その「感じ」が難病によって10年に凝縮された主人公の茉莉さんが、仕事や恋と真摯に向き合っていく軌跡は、もしかして誰もが到達できるものではないのかも知れません。人は、充分にある物事の価値を低く見積もりがちですから。でも、茉莉さんが幻想で見た結婚式と赤ちゃんは、叶えられたら、どんなに良かったでしょう。社会全体では数多くある、ありふれた幸福は、ひとりの人生にとってたった一つのかけがえのない物なんですよね。忘れそうになるけれど。たった一度の人生を生きてるんですよね。みんな。

なぜか巷には、他の人にはない重荷を背負った人は、普通に生きていてはいけない圧があるようですが、それが世界からなくなる未来が欲しいと映画を見終わって強く思いました。

すべての人の、納得いく人生を祈って。

大陸の向こうで戦争が始まってしまったから、余計に。

では。