物語考>「DIVOC-12」他

本題に入る前にひとつだけ。

昨夜、Netflixで話題になっている「The Guilty」を見ました。アメリカの緊急通報先911のオペレーターの物語で、ほぼ一人芝居の一幕物です。脇役は「何かを告げに来る」人のみ。ただし、電話の相手は頻繁に変わっていきます。電話の内容から見えない物を強烈に想像してしまう仕掛けです。主人公は、ちょっと神経症っぽくはあるけど有能で正義感溢れる人に見えます。だから、正義が行われるドラマなんだな、とこちらは安心して見ています。ところが・・・。真実は、最初に見て思い込んだものからは想像もつかないものでした。タイトルの意味が最後で分かります。真実は、わかりにくい。忘れがちなことだから、心に刻みつけないと。

一幕物で、平凡に見えた物が、事情がだんだん分かるにしたがって不穏さを増して、カタストロフィで幕を閉じる物語・・・「人形の家」ですね。予備知識なく見た時には純粋に驚き、二度目からは作者の細部にまで宿る周到さに感心するのが、このジャンルの正しい作法かと。

 

さて、本題です。

「DIVOC-12」の物語たちの、10分という時間は、その中の世界の構造を理解するのに充分な長さでしょうか。普段の時間感覚では、あまりに短すぎる時間なので、そう不安に思っていました。でも、見終わってから、10分は充分に長い、と悟りました。映画を作る人って、やっぱり凄いわ。

映画を見ている時は、普段生活している時とは、脳の処理速度が二桁ばかり違う気がするのですが、そのせいでしようか。ともかく、情報を取りこぼさないように、心が自然に全力疾走します。映画では、見えている・聞こえている物は、いろいろなことを伝えていますから。

これが、テンション落ちている時にダメになっていたのが、後になるとわかります。眠っている時は、眠っていることに気がつかないんだから、無理ゲーです。今は、良い調子なのですね、どうやら。新作とタイミングがあって嬉しいです。

藤井チームのテーマ「成長への気づき」とは、立ち止まって、過去と今の自分の差分を自覚すること、という解釈をしました。例えば、もし、今の自分はダメだと落ち込んでいるとしたら、以前にはなかった、自分の弱点を直視する能力を獲得したからだといいます。一見停滞に見える成長、でしょうか。だから、ちゃんと積み重ねた大人は、若者よりシックに落ち着いて見えるわけですから。

「名もなき一編〜アンナ」の主人公は、「よくある、こういう時って」という若者です。ただ、バブルが弾けて就職氷河期だった頃の若者の閉塞感も大概ひどいと思いましたが、その上をいくものがやって来るなんて、誰が想像できたでしょう。今は、私の人生の中で一番ひどいです。この主人公のように、沈んだ気持ちでひとりで生きている若者、日本の至るところに今、いるんでしょう。

不思議な女性、アンナに導かれて、主人公は時空を超えて旅をします。旅は、確実に人を変化させます。初めての道をただ歩くだけでいいんです。そして、旅の最後に、主人公はたぶんどこかに着地します。そこはどこで、どんな落とし所を見つけたのか、それは分かりません。でも、一歩進んだからには、二歩三歩と進む事でしょう。この構図、「青い鳥」や「不思議の国のアリス」等の異世界物に似ていますね。

ところで、満員電車で他人に当たる人みたいに、若者を悪者にする論も、このコロナ禍でたくさん出てきました。そのロジック崩しを専門家が頑張っていますが、なかなかすっきりしないのは、若さが羨望の対象でもあるからだと思います。与謝野晶子が「おごりの春」と表現した、期間限定の誇らしい美しさのこと。期間限定なのだから、精一杯今の若さを楽しんで欲しいと思うのは、娘を持ったせいでしょう。それだけに、コロナ禍での世代の分断はとても悲しく思っています。

分断と言えば、テーマが「共有」の「よろこびのうた」は、老いについて普段抱えているしんどさが増して、身につまされて辛かったです。老人は既に「稀」でもなく、生き証人として敬意を払われる時代はとっくに去り、社会や家族のお荷物扱いですか。小説以上に映像だととても辛くて悲しいです。生老病死で四苦。それが辛くて、みんな老いから必死で目を逸らすのでしょうね。問題の先送り。逸らし続けて良い事はなさそうなのに。

生の苦しみから逃れるにはガチャに勝つしかなく、老いの苦しみからは若くして死ぬしかなく、病の苦しみからは健康な内に死ぬしかなく、そして死の苦しみを避ける方法はありません。そこだけは、すべての人間が共有しているのですね。一瞬一瞬を大切にして生きる以外、苦しみの相対的な重さを減じる方法はないのでしょう。満員電車で他人に当たるように、同じように苦しんでる人に当たるのは、きっぱりやめにする良い機会です。コロナ禍は。

今日はここまで

では