ドラマ「新聞記者」見ました。

大変遅くなりました。

土曜日にNetflixのドラマ版「新聞記者」を一気見しました。その後、藤井監督のインタビュー記事や、モデルになった森友学園事件の詳細を調べてみました。モリカケ事件や記者の望月さんに関するツイートもざっと眺めてみました。恥ずかしいことに、それまではネットニュースの見出し程度のことしか知らないでいたのです。横浜流星さん演じる、就活生の亮くんの意識の低さを笑える立場ではないですね。

更に今日は仕事が休みになったので、ふと思いついて国会討論をテレビで見ました。福島瑞穂議員の、総理への質問のタイミングで、モリカケ問題、改ざんをさせられて自死された職員の話も出て来ました。以前の私だったら、問題のポイントがわからずに聞き流していたはずです。政治経済の理解には、予習復習が欠かせないと悟った次第。

ただ、亮くんとは世代的に40年以上離れている為、「社会のことを知らない、興味がない」のにも明らかな性質の違いがあります。そもそも、私たちは大学生が普通に新聞をとっていた世代でした。ネットもスマホも存在していなかったからです。ただ、私たちの上の世代の人たちが安保闘争学生運動で暴れた後遺症で、社会からの締め付けが厳しくなって、社会思想めいた事を考える子供・若者は危険視されたように思います。抑え込まれると逆に興味がわき、新聞も「それ系」の本も、こそこそ読んでいました。

そのレベルの意識ですら叩き潰されたのは、むしろ社会に出てからです。以前も言った通り、セクハラ・パワハラという概念すら存在せず、女子学生を入社試験の前段階で門前払いするのも違法でなかった時代でしたから。まずは、他人にとやかく言われないだけの仕事力・経済力をつけなくては。話はそれからだと思いました。その時は、その手の辛抱強さが、弱者が蹂躙される社会構造を容認する結果に繋がることを、まだ未熟だったので知らなかったのです。

さて、ドラマ版「新聞記者」では、米倉涼子さん演じる松田記者が、幹事長への記者会見場で粘り強く質問して食い下がっているところが丁寧に描かれます。政府側からしてみれば、嫌な質問ばかりです。政府側が「かわし」の返事をするたびに、他の男性の記者たちから笑いが起こるのが、とても醜悪に感じました。多分、この人たちは私に軽蔑されるために生まれて来たんでしょうねえ、なんて毒吐きたい!ああ、吐き散らかしたい。思うに、傍観者的ポジションがカッコいいなる風潮が浸透した時点で、この国はもう終わっていたんだと思います。松田記者は、新聞記者の本質的な職務を遂行しているだけなのだから。

それを外側から見ている亮くんたち学生の反応は、「そんなこと無駄じゃない?」という冷ややかなものと、松田記者の姿勢を肯定的に見る人と分かれます。亮くんが無関心でなくなるのは、政治問題が他人事でなく、自分事になってからでした。

この森友学園の問題は、ドラマほどには解明されていないので、「ただのフィクションじゃないか」という声もあるようです。だから?と思いました。

以前、「ドリームガールズ」を見た時、痛感しことがあります。初代シュープリームスからのメンバー脱退、入れ替えの事は知識として知っていたのに、それが当事者にとってどれほど過酷な体験だったか想像したこともなかった自分に驚いたのです。ちょっと考えたらすぐ分かりそうな事なのに。

物語を紡ぐ意味は、これだと思います。

ゴールデングローブ賞2017年の壇上で、大女優メリル・ストリープも語っていました。「役者の唯一の仕事というのは、異なる人々の人生に入り込み、どんな感じなのかを観る人に感じさせることです」。そういうことなんですね。

「新聞記者」の登場人物たちも、その人生が我が事のように感じられました。難関大学を出て、難関試験を突破して国家公務員になって、させられる仕事が汚職の尻拭いなんて。そんな夫の苦しみを薄々察しながら、何もしてあげられないなんて。しかも、上からの圧力に家族の自分が人質のように利用されてるなんて。こんな事、許しちゃいけないと思うのです。

こういうこと、本当は想像できたはずなのに、物語にしてもらわないと、その存在すら認識できないようにできているようです。だから、取材し、言語化し、物語を紡ぐ人たちが社会に果たす役割は小さくないと思います。

藤井監督は、黒澤明監督に三船敏郎がいたように、黒沢清監督に役所広司がいたように、自分には横浜流星がいる、と仰いました。確かに。横浜さんは、監督が作る「藤井ワールド」に観客を知らず知らず導く、白うさぎのような存在だと思います。好奇心を危険なまでに刺激する魅力的なウサギを追って、ワンダーランドに旅するアリスよろしく、ここまでやって来ました。もう、「それ」を知らなかった自分には戻れないと思うのです。ファンは皆さん、きっとそうです。

新しい世界を、ありがとうございました。

今日はここまで

では