表現者>映画「前科者」。悪役とか、犯罪者とか

V6ツアーは、大阪が昨日で終了した模様。いつものように「V6」キーワードでSNSで情報を拾っていたら、大阪参戦のファンの感想がたくさん流れて来ました。何だか、感動的なステージだったようですね。大阪はいつもノリが関東圏と一味違うと聞いていたから、メンバーも思い出がたくさんあったのかも知れません。師範の地元でもありますし。

さて、本日の本題。森田剛さんが、2022年の一月公開の映画「前科者」に出演される、というニュースが飛び込んで来ました。坂本さんの舞台のニュースに続いて、解散後の仕事のニュース第二弾です。それが森田さんだというところが、ファン的には特別感があります。

怪演が期待できる稀有な役者として、クリエイターからのラブコールが多く舞い込んでいるのに、受けてくれない、という謎情報も聞いていました。「ヒメアノ〜ル」から6年経ってるから、真実味がある話です。それが最近、何か映画のオファーを受けて、業界の人たちを驚かせたらしい、と聞きました。これのことだったんですね。

罪を犯して前科者になった男性と、保護司の女性の物語。「ヒメアノ〜ル」の連続殺人者の若者もそうだったんですが、罪を犯す人は、心が理解不能の怪物であるとは限らないのですよね。撮影は終了しているご様子ですが、この挑戦に敬意を表します。

イジメや虐待の事件が起こると、被害者側に感情移入するコメントはたくさん見られるのですが、加害者の気持ちにダイブする人は、多くありません。不愉快な人間と自分は違うと考えるのは、自然な防御だと思います。

でも以前、エッセイストでもあったベテランの女優さんが語っていました。世間がバッシングするような対象の気持ちにダイブするのは苦行ですが、役者は「それ」をするのが仕事だと。

森田さんの過去の作品は、その苦行めいた役づくりを必要とするものが多くて、それが積み上がる毎に唯一無二の役者として際立っていく感があります。どこやらおかしみや哀愁や可愛げを感じる、そんな犯罪者を演じてのけるのは、メンバーも言う通りの天才肌だと、私も思います。新作の物語の筋はまだ分からない段階ですが、今から楽しみでなりません。

 

役者ならずとも、様々な人の心に「我が事のように」想像をめぐらすのは、やる価値のあることです。何かが狂えば、自分も犯罪者になり得る、という視点を持って動かないと、社会システムの整備は進まないと思うからです。戦後の復興期と現代の犯罪率を比較すれば、貧困がどれだけ人心を蝕むか見えてきます。今まで罪を犯さず生きてこれたのは、単に運が良かったからです。日本が沈みつつある今、そこのところを真剣に考える必要があると思うのです。その意味で、生活保護受給者やホームレスを叩くのは、非常に危険な事だと、私は思います。

ところで、犯罪者と言えば、「TOKYO MER」が昨日、最終話を迎えました。ネタバレしますと、救命医師の喜多見さんは、一度命を助けたテロリストに最愛の妹を殺害されます。再び銃撃されて瀕死状態となった憎い仇のテロリストを、喜多見さんは再び救います。

喜多見さんは、幼少期にテロで両親をなくしたのが恐らく根底にあって、救急医になったのだと思います。人を救う仕事をしている人に多い動機です。たぶん、人を救う行為は、かつてなくした大切な人にしてあげたかった事なのです。そこまでは理解できます。でも、対象を選ばず救えるのか、という厳しい問いを突きつけられ、最後に「救う」を選びました。ここは、よく分かりません。被害者遺族の報復感情を乗り越えられる信念なんて、私の想像を超えています。

京都アニメーション放火殺人事件の犯人も、死んでもおかしくない火傷を負ったのを、医療者の懸命な治療により一命を取り留めて回復に向かったと言います。どうせ死刑だと投げやりな犯人に、主治医は「自分の罪と向かい合いなさい」と諭したそうです。やっとわかった気がします。これが、重大な罪を犯した人間を死なせない本来の目的なのかも知れません。この罪に到るまでの道筋を、本人の口からもはっきりさせないことには、今後の同様の犯罪を予防する手掛かりも掴めないことになります。「おかしな人のおかしな犯罪」で済ますには、犠牲が大き過ぎました。

「TOKYO MER」のテロリスト椿については詳しく語られる事なくドラマが終わりました。当然、あの後逮捕されるし、尋問されて組織について追求されるでしょう。人1人殺害しているし、殺人未遂が山ほどあるし、傷害は数知れず。最悪死刑でしょう。

でも問題は、椿の深層です。「なぜ?」という部分。私の勘が正しければ、椿も幼少期に喜多見医師と同様の喪失体験をしたことがありますね? 理不尽な目に遭ってダークサイドに堕ちるのは簡単です。喜多見さんが堕ちなかったのは、涼香さんという守るべき妹がいたからだと思うのですが、椿は1人だったのではないでしょうか。ダークサイドに堕ちると、堕ちずにいる者を引きずり下ろしたくなるらしいです。嫉妬? 鬼は柱を誘惑するのです。

椿の性格は、どうも嫌な予感がするのですが、16分類のINTJぽいですね。物語の悪役、もしくはダークヒーローに、よくINTJタイプが用いられる理由は、感情の優先順位が低いことから来る、冷たくて淡々とした印象のせいだといいます。そして、ドラマ等の設定で「よくある」のは、最愛の人間を理不尽に奪われたのを境に、人が変わって「そうなって」しまった、というものです。

例えば、「羊たちの沈黙」は、主役級の男女2人ともがINTJで、かつ主演女優自身もINTJという珍しい物語です。彼らの性質は凄まじい喪失体験によるもので、それがタイトルにも暗示されています。喪失体験は、女性をライトサイドに、男性をダークサイドに導きました。違いは、喪失してもなお女性には護るべき者がいて、男性はすべて失われたこと、それ一点かと思います。

長々と書きましたが、人間は不思議なことに、護ることで実は護られ、救うことで実は救われる生物です。他者の落ちる穴には自分も落ちる可能性があり、他者がせっせと塞ぐ穴のお陰で何とか今日を生きていける生物でもあります。コロナ禍がそれをはっきりとさせました。希望はここにあると信じます。

今日はここまで

では