企画ROOMの再スタート

ドラマ「SP」、成功してなにより。「フライ・ダディ・フライ」から大幅に進化して、世界が広々と広がってみえてくる。善悪の境が曖昧なのも個人的にとても好きだ。

さて、シナリオ、長編が書けないでもたもたしている内に、本業が忙しくなったりして、足踏みしている。このコーナーも、もう削除してしまうつもりでいたけれど、ようやく時間が取れるようになったので、自分の勉強の意味でも、再開しようと思う。

まず、自分に問いかけてみた。私はシナリオでプロを目指しているのだろうか。「それで食べていく」という意味では目指していない。今の建築の仕事で収入は十分得ている。子供の頃から今の仕事を目指して、お金・時間ともにたくさん投資もしたし、まだこの分野で上を目指しているから、将来的に何が何でもシナリオライターに転向、というのはない。そもそも、そんなに簡単に移れるほど甘い世界ではないと思う。

では単なる趣味かというと、それもちょっと違う。多少辛いことがあっても続けるべきことだと思っている。いや、表現することだけは死ぬまでやめないだろう。あと、インプットも。そういえば、シナリオも、当初の目的といえば、エッセイや手紙や詩の形式にもそれぞれ限界を感じて、「物語でしか書けない」というものを書くために思い立ったことだった。そのための本の大人買い。そして、そのための速読修行。これを続けていくと、どこか別の高いステージに行ける。絶対にそうなる。根拠もなくそう信じている。

ただ思うに、表現する以上は、それを受け止めてくれる人は必要なんじゃないか、と思う。コンクールに応募することを目指すのはそのため。ブログもそのため。物語作りに関しては発想がありきたりなので、修行が必要だ。自己満足している場合じゃないのだ。

さて、お話作りのために、ちょっとしたアイデアが浮かぶたびにポストイットにメモして、それを時々眺めて膨らませる、なんてことをしている。シナリオセンターの課題も、だいたいこの方法でこなした。大別して、ファンタジーの要素を盛り込むか、徹頭徹尾 現実の世界でいくか、二つの道があるとすると、自然に2:8くらいの割合で書いていることがわかった。ファンタジーの場合は、世界作りを徹底的にやらないと最低の駄作になる度合いが現代劇より強いと感じるので、短いお話だとなかなか。
また、喜劇より悲劇や闘争の要素を持った方が数が圧倒的に多い。(そーよ、私はそーゆーやつなんだ) ところが、お話の出来は、主観的には喜劇の方がいいように感じる。講師の先生は、心理の切り口みたいなところが個性的だと言ってくださったけれど、自分ではそれほど良く感じなかった。それは、たぶん私が一番自然に普段やっていることだったからだと思う。これまでだったら、自分ではいいと思えないその部分を磨こうとは思わなかったろうが、今は逆に、それこそを磨こうと思う。

というわけで、メモをいくつか

「人間は、その人の最も尖った資質については、自ら『無目的的』に磨くことが出来る」つまり、自分に乏しい資質については、目的がないとモチベーションがあがらない、と。
「人間は、好戦的であればあるほど、物事がうまくいかないと他人(特に弱いもの)のせいにする」これなんか、人物のキャラクター作りに使えそうだ。
「ある種『悟り』を得た個体は、周囲の進化を促す働きをする」進化論の本からの連想。
「黙示録に出てくる理想郷『夜も昼もない』世界は、インターネットで実現した」仕事中に何を考えてんだか。

つづく。