物語考>未来物と異世界について

今夜は、映画「夏への扉」を見てくる予定です。原作はハインラインの名作SFで、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のアイデアの元だと言われています。タイムトラベルで自分に出会ってしまったらどうなる、とか、過去を変えて未来を変更できるか、とかのいわゆるタイムパラドックスの古典です。ハインライン作品の中では、評価が特に高くないと言われていますが、そのロマンチックさで、日本では絶大な人気を誇っています。私も、ホームページを立ち上げたばかりの頃に、感想文を書きました。若い頃の自分が、まだ少年の師範に出会ってたら、どんな風に見えただろう、という連想からこの物語が浮かんで。

1956年に出版された物ですが、主人公は1970年と2000年を人工冬眠とタイムマシンで行き来します。驚くことに、執筆時には貧しかった日本が、44年後の未来世界では経済大国になっています。予言は的中しました。そして、未来世界にはマイコンを搭載した家電、お掃除ロボット、CADシステムが出て来ます。特に、CADは仕事で黎明期から付き合っているので、現実はちょっと前倒し感あるとは言え、作者は予言者ではないかと疑うほど、的確過ぎて不気味な感じすらします。

このように、SFに出てくるアイテムは、物理法則をガン無視したものは別として、現実化する事があります。テスラのイーロン・マスクのことを、近未来SFに出てくるアイテムを、現実の物にする、というモチベーションで生きている人ではないか、と語った評論家がいました。大陸横断トンネルとか。「ドラえもん」に出てくる未来道具を実現したくて研究者になった人のドキュメンタリーも見たことあります。

発想の糸口は他者でも、「今までなかった物を作る」のひとつの情熱のあり方でしょう。

ここにない世界を想像するのは、社会的な進化の原動力だと思うので、これからも大いに想像の翼を広げて物語を作っていただきたい、と思うのです。

ところで、昨夜、「バケモノの子」をTVで娘と2人で観ました。母子家庭の子供が、母親に死なれ、引き取り先の親戚から逃れて異世界に逃げ込みます。狭い路地を通ってトリップするのが、どこか懐かしさを感じさせます。こういうパラレルワールド系は実現が無理目ですが、だったらなぜここまで心惹かれるのでしょう。

子供の頃、そんなお話を読むたび、異世界旅行に憧れたことを懐かしく思い出します。主人公のレンと同じ年頃、読んだ本に出てきた、青い滑り台を使って別世界にトリップする方法を試しました。何も起こらず、どこにも行けなくて、悲しくてひとりで滑り台に座ったまま泣いたのを、久々に思い出しました。ワクワク試したことが叶わないのって、どうしてこんなにほろほろ悲しいのでしょう。

この、「異世界」のモチーフには歴史があります。児童向けだと、「ジャックと豆の木」の天空世界、「オズの魔法使い」のオズ国、「ガリバー旅行記」のリリパットラピュタ、「ピーターパン」のネバーランドなどが有名どころでしょうか。加えて、神話は、天界や冥界や異国など、異世界のバリエーションの宝庫です。

異世界は、現実とは異なる物体だけではなく、形のない物も溢れています。常識も、世界が変われば異なります。それをお話の中で受け入れるのは、なかなかの心のトレーニングになります。現実に飽き飽きした時のリフレッシュになります。これが快感です。

グレートジャーニーによって人類が世界に散らばったことから考察するに、人類という種は「ここじゃないどこか」を希求するように進化してきたのだと思うのですが、その夢見ること自体をNGだと言う人もいます。籠城派と打って出る派は、常に袂を分かちつつ、それぞれ進んで行くしかないのでしょう。

さて、ではそろそろ出かけます。

映画の感想は明日以降に。

では