物語考>アクションとか表現とか

ザ・ファブル 殺さない殺し屋」は、大ヒットのようで何より。私以上の熱烈な岡田准一ファンやV6ファンが、「岡田准一について」ではなくアクションやキャスト全員について熱くなって語っているのが、名作の証だと思います。そう、あれは師範に顔がそっくりの休業中の殺し屋で、あの変人ぶりも地なんです。きっとそうなんです。

また見に行く前に、「図書館戦争」と「SP」のアクションを見返してみました。師範はもともと運動神経が飛び抜けているし、長年ダンスで培ったバランス感覚と体幹があるから当時でもすごい、お腹いっぱい、と思いましたが、それから比べても恐るべき進化ですね。本当に、どこまで行くの?って聞いてみたい。もう、大好き。

そうそう、前の感想文で、妙に達人の格闘家みたいな人と、ガチの試合みたいな組合をしているのが良かった、と書いたら、本当にブラジリアン柔術の有名な方なんですね。納得です。あの方が画面に現れた瞬間、「まずい。ファブルのピンチじゃん」と心の中で叫んじゃいました。なんかよく分からないのですが、何かがセンサーにかかってしまったのです。その場に居合わせたら、全身の皮膚がピリピリしたことでしょう。

そもそも、ファブルは超人なので、適当な人が束になってかかってもかなう相手ではないわけで、それではその場の爽快感はあっても、観客が手に汗を握るまでには至りません。だから、あの柔術の達人は、観客的に本当に贅沢でした。スーパーマンがあまりに全能設定過ぎてだれてしまったため、弱点を設けた、みたいな。

あと、建物の狭い隙間を身体でブレーキをかけながら、敵と戦いながら落ちていく、あれは見たことないアクションです。自分がやるところを想像しただけで脳貧血起こしそう。前作のスパイダーマン風味も凄かったけど、これも神業のレベルです。崩れる足場を駆け抜けながら、敵をさばいて女の子を助けに行く、あのアクションも、どうやって撮影したのでしょう。

このように、「動」の演技では、日本を代表する俳優と名高い師範ですが、卓越した感性を武器にした「静」の演技もなかなかに。ファブルは、そもそも対人関係で揉まれるような生い立ちをして来なかったせいか、感情が平板に見えるのですが、でも感情がないわけではないのですね。あまりあらわにしないだけで。少しずつ少しずつ染み出すように分かってくるファブルの気持ちが、沁みます。力も姿もか弱いのに、甘えず懸命に頑張る女の子を見守っている顔にキュンとしてしまいました。

ファブルの言う「普通」とか「責任」とか、逆にレベルの高い倫理に見えてきます。そもそも凡人は、自分の行動が普通であるか、責任を果たしているかなど、厳密にチェックしないからです。ファブルを見ている内に、星新一さんのショートショートのひとつ、催眠術にかかった象の話を思い出しました。象は、「お前は人間だ」という心の声=催眠術に従って、善行を重ね、名士になります。生まれついての人間には、自分が人間である事は自明だから、「お前は人間だ」や「人間はどう生きるべきか」の声は聞こえてこないでしょう。皮肉だと思いました。この象における「人間」は、現実の人間ではないようです。ファブルが不殺の戦いに赴く理由の「普通」「責任」も、現実のそれとは違うでしょう。でも、それで良いのだと思いました。師範が演じると、そんな普通でない人が、不思議に嘘っぽくならないのです。

 

中途半端ですが

今日はここまで

では