ここのところ映画館での鑑賞が増えている理由の一番は、近場に映画館ができたことですが、二番目はシニア割が受けられるようになったことです。
60代なんて、仕事もばりばりしていたり、生活に人の手を借りる必要なんて微塵もない元気な人の方が多い世代なので、シニアという枠の線引きが妥当かどうか、サービスを受ける側なのに心配になってしまいます。
娘に「その分たくさん見るようにすれば、劇場側にもメリットがあるんじゃない?」と言われました。ごもっとも。
そんな中で、娘と二人で行ったのが「罪の声」です。
先に言っておくと、お勧めです。
「アンナチュラル」「MIU404」の脚本家さんの作、小栗旬さんと星野源さんのW主演、そして「グリコ・森永事件」をモデルにした物語。
もうそれだけでも面白いのは約束されているように思いました。
実際、観てみたら、この時代を私は生きてた、という強烈なフラッシュバックを感じました。
事件の概要はもとより、街の感じ、小物にいたるまで「あの時代」だったので、タイムスリップしたような。
でも、私には「もうそこには戻りたくない」時代でもありました。
映画「三丁目の夕日」で感じた、失くした美しいものを悼む気持ちではなく、その事件の背景にある政治に反対する市民運動、特に学生運動などが、ことごとく潰れていくリアルをただ見続けていた、そんな思春期の自分を思い出しました。
忘れてたのになあ。
私たちは、しらけ世代と呼ばれました。じわじわ壊れていく、他者への信頼と家族との絆。
だから、登場する、犯罪に走る人たちの動機のベースが、社会に対する不満だったのを、皮膚感覚で受け止めました。
「アンナチュラル」「MIU404」からも、個人を押しつぶすような理不尽さが、解決されることもなく放置されてたくさん転がっていることへの憤りを感じましたが、「罪の声」にはそれを更に濃縮したようなやりきれなさがあります。
「グリコ・森永事件」でも、脅迫電話には子供の声が使われていたそうですが、その子供たちは、今頃本当にどうしているでしょうか。
この物語のように、人生を台無しにされていたりしないでしょうか。
テーラーになった主人公のように、まっとうに生きる父親のもとで、まっとうな大人になって幸せに暮らしているでしょうか。
娘は、まっとうな大人になりましたが、親の私のかつての選択がもし間違っていたら、という怖さを今でも時々感じます。
映画を見たら、それがますます強まって、このやりきれなさは。
救いは、あくまで真実を突き止めようとする二人の男性の存在でした。
人生を台無しにされた者たちがいる、ということすら、彼らが動かなければたぶん知られることもなかったわけだから。
この辺りは、アンナチュラル のメンバーや、MIU404のメンバーとも通じる執念を感じます。
こうやってみるとマスゴミ、なんて呼び方で、記者活動そのものを封じる動きというのは、危険かもしれません。
なんだか、また、まとまりがないけれど、この辺りで。
ではまた。