生活全部が新型コロナで埋め尽くされているような中、エンタテイメントが私の心の支えとして重要さを増している今日この頃。
ずっと考えていたことがあったので、書こうと思います。
「シロでもクロでもない世界でパンダは笑う」の最終回後、すっかり横浜流星さんにはまってしまいまして、ドラマ「私たちはどうかしている」に出演されるのを、とても楽しみに待っていたわけなのですが、そんな中、突然Twitterニュースに横浜さんがコロナに感染した、と流れてきて、思わず声を上げるほど驚きました。
それと同時に「どうせ遊び歩いてたんだろう」という心無いコメントがついているのを見て、「んなわけあるか!」とムカつきました。
事実と逆のことを言って非難されるのって、真面目で誠実な人ほどダメージ大きいんじゃないかと気になって、どうか、病床のご本人が傷つきませんように、無事回復しますように、と祈っていたのですが・・・。
退院された直後のインスタグラムに「外出は本当にしておらず」とあったのが引っかかって、やっぱり傷ついてしまったのかな、と。
表現者のリアルについて、大抵の人は「知らない」だけではなくて、「自分は知らない、ということを知らない」のが、すべての原因かと思います。
電車が時刻通り動くことや、今日出した宅配が翌日届くことが、どういうからくりで成立しているかが意識されないのに、とても似ていると思います。
私がなぜそれを言えるのかというと、娘がダンスのステージに何度か立つのを傍で見ていたからです。
数か月後のステージのために、徹底的な食事管理、身体のケア、トレーニングを貫き、仕事をしながらもオフの時間はすべてダンスのために捧げていました。
家にいる時間全部、リビングを占領してダンスの練習をしている娘は、普段のほわほわした感じとは別人のようで、声もかけられませんでした。
ギャラの発生しない、もっと言えば持ち出しのステージで、ここまでするのか、と思いましたが、これが表現することなんだと腑に落ちました。
娘は、私とは似ていないところの方が圧倒的に多くて、ベストはこの「表現者特有のモチベーション」だと思います。
表現する「本番」に向けて、自分の持っているものを最高に持っていくことに全集中する、そういう性質です。
結果「本番」が不評の時でも、反省はするけれど、「時間orお金がなかった、アクシデントがあった」的な言い訳もしなければ、「一生懸命やりました」的なアピールも一切しません。
ま、ダメだった時に腕の中で泣かせてあげるのは私の役ですが、私以外の人の前では泣かないのも、実は知ってます。
そして、ひとつやり終えてすぐに、次に繋げることを考え始めます。
ずっと傍で見守ってきた私は、我が子ながら人としてカッコいいなあ、素敵だなあと感じ入るわけですが、きっと、表現して生きていくことを選んだ人たちは、みんな同じ性質を持っているはずです。
横浜さんは、役ごとに同一人物とは思えないほどに変わって、しかもそれぞれの心が伝わってくるような素晴らしい演技をされるのだから、その努力もすさまじいに決まってます。
職業としてやっている人たちは、何かとプライバシーにまで踏み込まれたり、誹謗中傷されたり等の理不尽な目にあいやすい昨今ですが、もっともっと敬意を払われるべき存在だと思います。
ダンス
https://youtu.be/CkqppgWS9s0 ※途中で音声がなくなってます。