『ヒトはなぜ感動するのか?』 05/07/10 乙武洋匡さん

-7/10放送
乙武洋匡さん
テーマ:「ヒトはなぜ感動するのか?」
最初に言っておくけれど、岡田くんが言っていた、「生きてて良かった」なんて感動は、岡田くんを発見してから何度も感じた。「もういつ死んでもいい」っていう体験はまだだけど、それも絶対に近いうちにあるだろう、と確信に近い予感がしている。
「笑いのツボ」「泣きのツボ」というものがあるように、「感動のツボ」というものがあるような気がする。それも、かなりの個人差のあるものとして。「笑い」「泣き」に次いで、今回の放送の後、自分の「感動のツボ」について考えてみた。考えるまでもない、それは私の場合、「美しいものを体験した時」だ。乙武さんの「台本のないドラマに感動する」というお話をうかがっていて、感動のツボが、スポーツ好きの人と私とはどう違うのか、とても納得いった気がした。私は、ドラマや映画を繰り返して見て、筋を知ってても感動できてしまうから。何度繰り返そうと、体験としては、その都度違うのである。
ところで、スポーツを観戦していて感動したことがないのか、と言われるとそうでもない。ミュンヘンオリンピックの男子バレーなどは、事前の盛り上げ方が巧みだったこともあって、金メダルを取った時、家族全員で「やったぁ!」と飛び上がって、ぽろぽろ泣くほど感動した。中学3年生の時だ。あの時は、すべての選手の名前、年齢、身長、プロフィールなどを細かく言えるほどはまっていた。でも、それ以来、スポーツにのめりこんだことがない。あの時は、日本男子バレーが置かれていた悲劇的な要素と、それに立ち向かって、絶対に金を取ってやろうという情熱が、「物語」を美しくしていたと思う。そこが、普段スポーツにはまったく興味がなかった私までも熱狂させた。まるで、アニメのスポ根を、リアルで見ているようだった。だから、スポーツライターの人たちの使命のひとつに、スポーツ選手にもそれぞれ物語があるんだということを、伝えていくことがあるのかな、と思った。それにしても、乙武さんは、生き生きとした話し方をする方で、私もちょっとスポーツ見てみようか、と思ってしまった。
ところで、感動ということからテーマが少しずれていたけれど、ペルーの子供たちの学業に対する情熱であるとか、京劇の学校の子供たちの厳しい修行だとか、興味深いお話だった。日本はひょっとして、もうだめかも知れないな、とも思う。岡田くんみたいな人が現われたので、まだ少し希望はあるのかも知れないけど。そんなことを思った。