『ポセイドン』

リチャード・ドレイファスが出演している上、ペーターゼン監督の作品とあっては、見ずにはいられない。ああ、だけど、水恐怖症と、閉所恐怖症、高所恐怖症の人は、かなりつらいことを覚悟して見た方がいいと思う。かく言う私は、水恐怖症にして、閉所恐怖症、高所恐怖症である。途中、息ができなくなってそりゃあもう大変だった。キャストと一緒に水もぐったし。しばらく船に乗る気になれない。

旧作の『ポセイドン・アドベンチャー』のリメイクではあるけれど、パニック映画の体裁をとってはいても、四千人の内の生き残ったたった六人の人々が、いかなる理由によって生き残ったか、という点を、とても丁寧に描いているところが考えさせられてしまった。途中、やむなくパーティの一人を見殺しにするシーン、パニック状態になって暴走するひとりを、制止しないで死なせてしまうシーン。不慮の事態に陥って溺れてしまう女性を、どうしても助けられずにみんな打ちひしがれるシーン。確実に死ぬのがわかっていて制御室のボタンを押すため潜水する父親のシーン。誰かが死に、誰かが生き残る……ゆっくりした日常の中にあっても、実はその宿命の中にみんないる。だけど、そこで誰がそのポジションにつくか。それは偶然なのか、必然なのか……そんなことを後になって考えてしまう映画だった。ここの部分の描き方にごまかしや投げやりさがないところが、ペーターゼン監督らしい。

それにしても、あのさかさま世界の緊迫感、映画でしか味わえない異世界だ。旧作の『さかさまトイレ』は残念ながら出てこなかったけれど、それでもカタルシスを得るに十分だった。

(追記)
ところで、ラストまで来て何かを思い出しそうになっていた。やっとわかった。リチャード・ドレイファスが最後までたどりつく者となる、となったら、やっぱりこれは『未知との遭遇』でしょう! オマージュ、っていうのだろうか。救助用のヘリや船のライトが、宇宙船のようだった。『未知との遭遇』の主人公が最後までたどりつくたった一人になった理由は、極めて直感的で、かつそれに従って行動するのをためらわない人だったからだ。『ポセイドン』の場合もどうやらそうらしいのだ。こういう映画好きにはこたえられない仕掛けが嬉しい。