運動>運動特性の話

ピラティスをやり続けていて良いことのひとつに、自分について新たな発見をたくさんすることがあります。還暦過ぎている私でもあるくらいですから、人生まだまだこれから、という若い人だったらなおさら。

そこでひとつ結論。人間には心身のタイプによって向いている運動と向いていない運動があります。

我がアイドルの格闘技は、まさにそのタイプにドンピシャの運命の出会いだったと言えるでしょう。この「縁の抜群の良さ」もまた大成する人の資質と言えるでしょう。アクションカッコいい。美しくて最強とか、ズルくて、好き。すみません、ファン馬鹿です。

また、横浜流星さんが空手のチャンピオンになるほどの身体能力の持ち主なのに、球技が全くダメ、なんてのも分かりやすい例ですね。でも、たぶん真剣に取り組んだ競技は何でも、たとえ最初は人より成長が遅くても、あるポイントでいきなり急成長して、達人のレベルまでいくと思います。そういう人、何人か思い当たります。でも、好きでもなく、仕事でもないのなら、苦手でもどうでもいい•••今はそういう良い時代です。

これが、かつては学校組織の中で「運動神経の良し悪し」でばっさり2つに切り分けられていて、運動虐待によって大量の運動アレルギーを生みました。ま、私たちの頃は、ほとんどの教師は敗戦トラウマの持ち主だったので事情が特殊ですが。

私は体育がダメでした。5段階の3なので、まあ普通、なんでしょう。器械体操がもう徹底的にダメで、鉄棒•マット•とび箱が全滅でした。短距離走も遅く、自転車も遅くまで乗れず、なかなか泳げませんでした。これなんか、サディストの教師の恰好の餌食です。

ところが、小学校高学年くらいから、長距離走が上位に入り、遠泳ができるようになりました。また、遊びでやったアーチェリーや射撃で初めから高スコアを出しました。人生最初の運動での成功体験です。

高校生の時、剣道を始めたら同期で入った女子の内、味噌っかすだった私がひとり段持ちになりました。これが人生二度目の成功体験。

ピラティスをやって気がついたこと。

ひとつ目。器械運動がダメな理由は三半規管が弱いせいだということ。頭が胸より低い姿勢になるたび恐怖に襲われ硬直するため、運動にならない、と。高いところがダメな理由も腑に落ちました。

ふたつ目。先生のキューに対する反応は極めて良好だそうです。言葉を聞いて、それを運動に変換する能力が高い、ということらしいです。筋力もまずまず。正しい意味で運動神経がいい、なんて言われてうるうるしました。

みっつ目。ピラティスの最中に、よく靭帯の腫れを指摘されて、ようやくこれが自分の体質なんだと分かりました。長距離走に適した筋力や心肺機能はあるようですが、この、関節の軟骨組織が遺伝的に弱いせいで瞬間的に大きな負荷がかかる短距離走などが苦手になるわけです。

ピラティス以前に分かっていた特性もあります。団体競技がもう生理的に無理。他人と体が触れるのも無理。動体視力と瞬間視力がかなり良いのと、闘気が強いため、非接触の武道•格闘技は向いています。

これらは、根性論ではどうにもならないものばかりです。私とは全く異なる心身タイプで、異なる成功体験と、異なる劣等感を抱いている人は無数にいるはず。

習慣的な運動は健康と幸福の源です。ぜひともそれぞれが自分の心身の特質にマッチした運動を見つけて、それと共に生きていく、それが当たり前の時代になって欲しい、と願いながら。

 

今日はここまで。

では