物語考>リドル•ストーリーについて

V6解散について、発表の文章に続いてメンバー全員の動画がアップされました。みんな、この件について憶測が飛び交うことを危惧しているようにお見受けしました。確かに、森田さんひとり退所という形だと、解散して欲しくないと願う人たちに悪意めいた憶測が生まれてしまうかも知れません。できるだけ平和に進めたいですね。私は、発表された事の真偽はとりあえずどっちでもいい派です。それよりこれからのみんなの幸福な人生がちゃんと実るのか。不惑からの新しいステップなので、ファン的にもそっちに気持ちを集中させたいと思います。

 

ところでこの件を引き金に、「人の真意はわかるものか否か」という、以前から考えている事を久々に再考しました。きっかけは映画「永遠の0」で、多くの評論が「宮部の本意が何だったのか、これでは分からない」と書いていたことでした。「いやいや、特攻に赴いた者たちの気持ちは誰にも分からない、って台詞があったでしょう」と私はひとりで突っ込みました。それが答えなんだと。

で、例によって色々調べる内に、「リドル•ストーリー」なる言葉に行きつきました。ああ、これなんだな、と。一般に、物語は予習復習を必要としてはならないとか、伏線や謎はすべて物語の中で解くこととか、ルール化しています。けれど、物語というものは常に実験の場でもあります。新しいルールのゲーム=物語を作ってはいけない法はない、と。

リドル•ストーリーについては、Wikipediaから引用しますと、

リドル・ストーリー (riddle story) とは、物語の形式の1つ。物語中に示された謎に明確な答えを与えないまま終了することを主題としたストーリーである。リドル (riddle) とは「なぞかけ」を意味する。」

代表作に「女か虎か?」があります。映画「カイジII」にモチーフが使われていましたね。芥川龍之介の「藪の中」もそうです。原作はリドル•ストーリーですが、黒澤映画では一応の「真相」が付け加えられていました。「人の心は恐ろしい」という台詞も。

人間の心の中も、それに伴う結末も「読者のご想像にお任せします」という落ちです。「スッキリしない」と不満が出て当然でしょう。たぶん、そのスッキリしなさ、モヤモヤ、が目的なのだから。

「永遠の0」で、特攻した者の気持ちがはっきりすっきり分かるように書いたら、それこそ特攻礼賛になってしまう気がするのですが、どうでしょう。分からないとは言え、零戦で空母に向かって急降下して行く宮部の顔が、悲しみから怒りへ、そして歓喜にも見える表情へと移り変わって行く様は、あまりに強烈でした。宮部さんが何をどう考え感じていたのか、やっぱり知りたい。去年の夏、城巡りのついでに知覧まで行く予定でした。そこで一歩でも近づけるかと思います。

戦時中ではなく現代の日常の中であっても、他者の心なんて完全には分かりません。理解するための技術は数多あれど、主観は絶対的に交換できないので、答え合わせもままなりません。でも、分からないから放棄とか、それはダメです。社会性動物としての衰退ですから。

なんて偉そうには言うんですが、「他者とは、自分が生まれてからこのかた一度も思ったことのない事を『思っている』と強弁する生物」ぐらい思っておけば腹も立たない、いいところまで来てくれる稀有な人には大感謝、と考えれば気が楽。歳のせいか、そんなやさぐれた心境にもなってしまいました。

でも、だからこそ自分とは異なる人生が描かれる物語に強い興味を覚え 共感し、再び「完全には分かり得ないんだ」と言う真実に戻ってくる、そんな「らせん運動」を繰り返すことに意味を感じるのです。

我がアイドルは私の世界では、その物語の登場人物のエースです。なぜかそうなのです。次はどんな物語に連れていってくれるか、ずっと待ち続けて生きていこうと思います。

 

今日はここまで。

では