野望~教育グランマへの道

タイミング的には、昨日がこどもの日だったので、昨日書きたかったことだけど、まあ一日ぐらいは大目に見てください、ということで。

結論から先に言うと、私の野望のひとつは「教育ママ」ならぬ「教育グランマ」になることである。
娘が将来産んだ子供、つまり私の孫を保育・教育したいのである。
娘が仕事をしたいと言ったら、子供の保育はすべて担当する気構えでいる。
その上で、私の持っているものは、何でも教えてあげようと思っている。
娘からは、音楽はお願い、と頼まれている。

きっかけはいろいろあるんだけど、青島広志さんという作曲家が、子供時代お祖母さんにオルガンの手ほどきを受けたことが音楽に目覚めるきっかけになったエピソードがひとつ。
沈黙の春」で著名なレイチェル・カーソンが、孫と散歩しながら自然と触れ合うことの大切さを描いた「センス・オブ・ワンダー」に触れたのがひとつ。
ドキュメンタリー映画デブラ・ウィンガーを探して」の中で、ヴァネッサ・レッドグレイヴが、インタビューで女優としての仕事や政治的活動と同じウェイトで、孫と遊ぶことを語っていたのが素敵だったのがひとつ。
こういう、ひとつひとつの積み重ねがあった上で、娘がそろそろ完全に手を離れて自分の力で歩き出すことになった。

ずっと以前は、こういう話をいろいろ聞いても、ひどくつまらなく感じたに違いない。
子供が絡んだ話がつまらなく感じるのは、未だ子供の魅力に気がついていなかった証拠だ。
子供を産んで育てて、その面白さがわかりかけた時に、子育て終了なんて、切ない話だと思った。
その解決として、八方が丸く収まる方法が、この教育グランマだ。
具体的には、娘たち家族とはスープが冷めない位置に住んで、様子を見ながら彼らをサポートする、という計画である。
もちろん、自分の生活をきちんと自分で支えてである。
大変だけど、やりがいもある。

ある動物学者が、人類が他の動物と比較して「これは人類だけ」というものがいくつかあるんだけど、その中に「おばあさんが存在する」というのがあると語っていた。
これは説明すると、哺乳類のメスは閉経するとすぐに寿命が来て死ぬのだけど、人類のメスだけは閉経して、つまりおばあさんになっても死なずに長く生きている、ということを指す。
これは、人類には発情期がないことや、他の動物とは比較にならないくらい未熟な状態で生まれてくることや、お産がひどく重いこと、などと同様、高度な大脳を作り上げる必要から進化論的につくれあげられたシステムである、と。
この大脳を育てるために一個体を保育・教育する時期が長くなり、メスが交尾する時期と育児期を厳密に分けられないので、母親とは別に育児担当が必要になってくる。
そこで、閉経したメスがその役を担うのではないか、と。
そんなことを考えると、核家族化というのは、この人類の持つ自然に逆らったもののように映る。
一体どういう経緯で浸透したのか、知りたいものだ。

少子化が問題視され、女性の子育て支援を、と叫ばれつつ、どうして「もっとお祖父ちゃん、お祖母ちゃんの力を活用しよう」とか、「若いパパママ世代に手を貸そう」という声があがらないのだろう。
かなり前からそれを不思議に思っていた。
ネットでは見たことがない。
テレビを見ないせいで、見損なっているだけなのかな。
いろいろ条件が揃わなくて、親世代の人の協力を求められない、という人もいるだろう。
だから、すべてがそうすべき、という話ではないことはあらかじめ断っておく。
だけど、そういうサポートがもっと自然に浸透してもよさそうなものだ。

私は、ともかくやってみる。
今からいろいろ準備を始めれば、実戦には間に合うだろう。

これは、言うならばネットを通じての宣言、というところ。