人生を変えた読書&鑑賞 その4『人形の家』

さてさて、第四弾。

ずっと以前から思っていること。
例えば文学作品や映像作品、コミックなどが、犯罪の引き金になったりすることがある。
記憶に新しいところでは、同級生を刺殺した少女は『バトル・ロワイアル』の大ファンだった。
アメリカで隣人にタリウムを飲ませて毒殺した男性は、アガサ・クリスティ推理小説からヒントを得たという。
理解できないほどショッキングな事件が起こり、犯人にそういう背景があったことが報道されるたび、作品が悪玉として責められるのがパターン化しているように思う。
しかし、書物や映像が人間の行動に影響を与える、というのが事実だとしても、星の数ほどもある物の中から、加害者はなぜその一点のみに影響されたのか。
すばらしい文学作品に触れて、世のため人のために尽力する人に、なぜならなかった?
学校や家庭での教育では、それを狙って偉人の話を子供にする。一度は触れたことがあるはずだ。
そちらからは影響を受けずに、なぜ?
無意識に求めていたところ、たまたまアンテナにひっかかったのがその作品に過ぎなかった、というのが本当のところではないかと思う。
それは、禁煙を始めると、世の中にはどうしてこんなにタバコの自動販売機やポスターがたくさんあるんだろう、誰かが自分の禁煙を邪魔しようとして、行く先々に置いているのではないか、と驚くのと同じ。
つまりは、何かに影響を受けることもその人自身が、広い意味で選んでいる、と思うのである。

前置きが長くなったけれど、私が33歳で一回目の離婚をした時、影響を一番受けたのがイプセンの「人形の家」だった。
はっきり離婚を意識していたわけではないのに、この本を何気なく手に取り、一息に読み、そして読み終わった時にはもう読む前の自分とは違っていた。
その時に私が抱えていた状況と言えば、出産とともにリウマチを発症し、計画していた仕事への復帰も危なくなり、失意の中、何とか活路を見出そうとITや英語の勉強に必死だった頃だ。
そんな中でもボランティアをしていたのは、娘のアトピーの相談をネットでしてところ、びっくりするくらいのたくさんの情報と温かい言葉を、見ず知らずの人たちからもらったことがきっかけだった。
社会からもらったものは、社会に返したい。
そんな活動の中で、自分の中で積み上げていくものがあって飽和したところに、「人形の家」が引き金になったのだと思う。

よく、共稼ぎの夫が家事に協力してくれない、と言うが、私の元夫は家事を一切しないだけでない。
座ったまま、私を顎でこき使う人だった。
私も週の労働時間が60時間を超える仕事を抱えていたけれど、同じ会社に勤めていた元夫は私が家事を手抜きするのをひどく嫌がって、命令していつも家事を完璧にやらせ、コーヒーを入れさせ、真っ暗な夜道をタバコやビールを買いに走らせ、玄関で物音がしたからと見に行かせ、すぐそばにある灰皿や雑誌を取らせた。
うっかり言いつけをすぐに実行しないと、怒鳴ったり、やくざ者のように低いうなり声で汚い言葉を使って脅迫する。
機嫌が悪くなると、人が聴いている英語のカセットを黙ってバチッと消したり、どすどす歩いたり、ドアを乱暴に閉めたりする。
ウォークマンによる通勤時の耳学問は、それを何とかするための苦肉の策である。
しかも、私が本を読み出したり、勉強をはじめたりすると、特に用を言いつけることは、結婚後一ヶ月で悟った。
そこで、別室で勉強しだすと、「何を怒っているんだ!」と血相を変えて部屋に怒鳴り込んでくる。
仕方なく勉強は、夫が寝てから睡眠時間を削ってやった。
家事をどうやってもっと合理的にして、時間を生み出すか、最初の頃はそればかり考えていた。

結婚してしばらくして、あまりの重労働に耐えかねて、「なんで私ばっかりこんなに働かなきゃいけないの?」と泣き言を言ったところ、「結婚したら、いいこと期待したっていいだろう!」と怒鳴られた。
私には良いことはひとつもない。
いや、ある。
「結婚しろ」と誰からも言われなくなったことと、職場でのセクハラが若干弱まったことだ。

二人なら経済的に潤うかも、というのは、結婚して一ヶ月で誤算だとわかった。
新婚生活一週間目は、元夫は家に帰って来なかった。
会社の同僚に「女房につけあがらせないために、最初にびしっとやれ」とかそそのかされて、雀荘と会社を一週間往復した挙句、8万円負けて帰ってきたのだった。
それを私が払わされた。手取り20万そこそこの頃の8万だ。
その話をすると「どうして払ったの?」とびっくりする人が多い。
微笑んで「男の方が力が強いですから」と心の中で答える。
ちなみに、独身時代に百万以上貯めた定期は、結婚するなり元夫に召し上げられ、新車を買われてしまった。
夫は、私より1.5倍の収入と、6年長いキャリアを持っていたが、貯金がゼロだった。
その理由がよくわかった。よくも私に結婚してくれと言ったものだ。
ともかく、これをたびたびやられたら生活が破綻するので、私も同じ会社の社員であることを活かし、抗議のハンガーストライキを一週間決行した。
一時的には効果があるが、効果が永続しないのと、体調が悪くなるのが、欠点と言えば欠点だ。

こんなでも我慢して、文句もほとんど言わず努力していたのは、彼が片親で苦労してきた人だったからだ。
家庭内で、母親に甘えることが少なかった人だから、今ちょっとバランスが悪く甘えすぎてしまっているのだろう、と自分を説得した。
子供ができたら、きっと変わるだろう、と。
本当にとことん甘かった。

私が会社に入社して以来、最も大きな仕事が27~28歳の時にきた。
会社の仕事が理解できていて、かつプログラミングの技術がある私にしかできない仕事だった。
後で知ったが、莫大な設備投資もかかっていて、さりげなく社運なんぞもかかっていた。
二ヶ月でやり遂げた。今思い返しても、よくできたものだと怖くなる。
高齢の社長は、クライアントに「専属のプログラマーがいます」と胸を叩いてオファーを受けたこともあって、とても喜んでくれた。
ところが、一緒に喜んでくれてもいいはずの元夫の態度は、すこぶる悪かった。
でも、自分としては仕事ではともかく納得いくことができた。
これは私にしてはとても珍しいことなのだ。
というわけで、妊娠出産に踏み切ろう、とした。
ところが、できない。
二回ダメで、医師に相談したところ「年齢や体つきの割りに、性的には非常に未熟ですね」とやんわり言われてしまった。
つまり、生理の周期がめちゃくちゃで、排卵していない、ってことだ。
わかってたけど、どこか甘く見ていた。もう身体がぼろぼろだったのだ。
それでもどうしても欲しかったので、玄米菜食と、朝三十分のランニングと、筋トレを決行。
一年後に妊娠。あんなに嬉しかったことはない。
そして、出産。しばらくしてあまりに関節が痛んで歩けないし、包丁も持てないほどなので、病院で診てもらったら、慢性関節リウマチだと診断された。
どういう病気か調べたら、思った以上に深刻なものだと知った。

さて、それまで元夫に対して真面目に妻役をまっとうしてきた自信はあった。
いざ、という時になったら、きっと夫は男だから、このピンチを強い力で切り抜けるに違いない。
私と娘の二人を守ってくれるに違いない。
負担をかけるのは心苦しいけど、そのヒーローぶりを目撃できるチャーンス!
そうしたら、私だって頑張る。
障害を抱えつつ、それを工夫と努力で克服して、いい人生を築いている人だってたくさんいる。
二人して乗り越えて……。
「人形の家」の「ノラ」と同じ期待に胸をいっぱいにしていた。
診断の結果を受け取って、病気についても仔細に調べ、それらを元夫に伝えたときのことだ。
「よしわかった。俺がついてる。お前は何も心配するな」そんな台詞が初めて聞けるかも知れない、と思った。
なんで、何の根拠もなく、そんなことわくわく期待しちゃったかな。バカだったな。
いやあ、元夫の「ヘルメル」ぶりは凄まじかったですねえ。
いつものように、私に怒声をあびせれば、私がたちどころに「なんとか」すると信じきっているかのような、変わらぬ態度であった。
「家事が嫌で仮病使ってんだろう!」とか
「今すぐ病院行って直して来いよ!」とか
「お前の母親を呼んで、家事をやらせろ!」とか、エトセトラ。
それでも、結婚生活はその後も二年近く続けた。
頑張って身体も何とか回復の方向にもっていったし、勉強もして将来の戦略も立て直した。
パソコンを家に持ち込んで、仕事も続けた。
娘が一人前になるまでは、離婚はすまいと思ったのだった。
ところが、娘が保育園で、「お母さんは足が痛いの。お父さんがお母さんをいじめるの」と言ったと保母さんから聞かされて、「もうこのままじゃダメだ」と思った。
その時に出会ったのが「人形の家」だ。

とりあえず、別れることを固く決意した。
私がそれまでになく逆らうような態度に出れば、今までのように「殴ってやるぞ」の脅しではなく、本当に殴られるかも知れない。
それまではそれが怖かったが、出産の痛みに比べたら、殴られるくらいはどうってことない。
別れを切り出して、殴らせて、病院に駆け込み診断書をとって、家裁に申し立てて、速攻で離婚だ。
よし、それで行こう。
暴力を振るわれたときの為に、娘を咄嗟に抱えて脱出するルートを確保しイメージトレーニングし、保険証やらお金やらを肌身につけ、履き古した靴をガスメーターのボックスに隠し、さあ決行だ。
ところが、元夫は、暴力どころか、妙な説教やら、泣き落としやらに終始した。
なんだ、ほんとうにこの人、「人形の家」のヘルメルなんだな、と思った。
元夫は、自分には何の落ち度もない、と言った。
確かに、言葉や態度での虐待は凄まじいの一言だけど、とりあえず手をあげたことはないし、浮気をするわけではないし、けちだけどお金を渡さないわけでもない。
でも、もうスタート時点から破綻した人間関係であり、それに私が気づいてしまったことが、離婚の理由なんだと思う。
別れる以外に、私と娘が人間らしく生きていく道はない。
それが最後までぶれなかったのは、「人形の家」のおかげだ。

こうやって列記すると、ひどい人のようだが、この人は、周囲のすべての男性たちに「こいつは本当にいいやつだから」と言われる人だった。
プロポーズされた時も、優しい人だとは思いつつ理由もなく不安で迷ったのだが、その言葉を信じてみようと思ったのだった。
行きずりの他人に対して、妙に寒々と冷たいところがあって気になったが、接する人には、わけへだてなく「いい人」だった。
結婚してからも、誰彼ともなく優しい人だった。
ただし妻と子供だけは例外だったのだ。
婚姻届けを出した瞬間、豹変した。
私は、とんでもない犠牲を払って、得難い体験をしたから、これから結婚する女性たちに言いたい。
こういうタイプの男性と結婚したら、地獄だ、と。
絶対に、引っかかっちゃダメ。
結婚する前に、「人形の家」はともかく、読んでおいた方がいいと思う。
この世には、すばらしい伴侶に恵まれて、しあわせに暮らしている人たちもたくさんいる。
私と同じ病気になったにも関わらず、ご主人の支えでいい人生を歩んでいる人も知っている。
これからの女性たちに。
どうか、できればそんないい結婚をして、しあわせになってください、と祈らずにはいられない。