DVD>舞台『ヴェニスの商人』 他

これは年末に見た。
例によって書こうかどう迷っていたけれど、ちょっとだけ。

今まで見たことがある『ヴェニスの商人』とは、まったく違う空気を持った舞台。
私が一番面白いと思ったこと。
『二役』ということ。

ポーシャは、劇中で一人二役、しかも男性と女性を演じる。
それに対抗してというか、藤原さん演じるバサーニオは、一人で三役を演じる。
ポーシャに求婚する男性三人とも。
金銀鉛のみっつの箱を選んで開けて、正しい箱を選んだ者がポーシャと結婚できることになっている。
三分の一の確率か……かなり高いと思う。
この箱の中身を入れた人間が何を考えるかなどは、知りようがないので、私だったらサイコロでも振って決めてしまう。
箱の材質やら書かれてある文など読んだら、惑わされるのが落ちだから。
それはさておき、箱選びは、劇中で三回行われ、すべての箱の中身が観客にも明らかになるわけだ。
後になって考えてしまったのだけど、これは藤原竜也さんという役者による三役なんだろうか。
それとも、劇中のバサーニオの変装による……ポーシャと同じく……三役の芝居なんだろうか。
顔の黒いドーランがポーシャの手についた演出で、それは変装らしい、と思ったが、もしかして違ったかも知れない。
もしこれがバサーニオの変装だとしたら、彼はずるをしたのだ。
いいの?ずるをして結婚しても。
好き合ってるからいいのか。そうか。

ポーシャの二役だってずるだ。
判事の資格を持たないものが、判決を下して、ユダヤ人から財産を没収してもいいの?
シャイロック以外の人はすべて幸せになるからいいのか。そうか。

子供の頃、子供向けに書き直した小説風の『ベニスの商人』を読んだことがあるが、それは当然三人の別の男性による正式の箱選びで、さらに道徳的な味付けがされていた。
ポーシャを心から愛していたバサーニオだけが、財産目当ての他の男性を退けて、無欲で勝てたのだと。
金も銀も鉛も、それぞれに性質を持った金属として平等で、金額による価値判断は仏の目からは無意味なもの。
仏教的な道徳観だと、こういう感じが強くなるけれど、西洋では人間の物欲と禁欲のせめぎ合いが、物語の中でこうやってシビアに描かれるようだ。
金と銀がお約束。
子供の頃は、ピュアに、ポーシャやバサーニオやアントニオがいい人たちだと思って読んでいたのに、何だかちょっと醒めた気持ちになる。
しょせん、お金持ちの身からさびのトラブルじゃない、と。
歴史的な背景がわかりだすと、同じ物語が違うものに見えるものらしい。


さて余談。

ポーシャが、自分の夫にすらばれずに男性を演じ通したのを見てて、寺島しのぶさんがすごい女優さんだってこともあるんだけど、女性はみんな天性の女優だ、と言う言葉を思い出していた。
男性の嘘はわかりやすいけど、女性のはわかりにくい、とも言う。
自分でそれが嘘だと知っていなければ、ばれない嘘は十分に可能だと思って、そういう物語のプロットを書いたことがある。
怪奇大作戦』の、人間を一時的に狂気にする機械からヒントを得て。

だけど、考えてみれば、自分でもその時、嘘だと気づかない嘘なんて、普通についているものだと思う。
それは例えば物語という嘘だ。
例えば、平素は「天国も地獄もない」とはっきり考えている人が、弔いの席で、「きっと天国で幸せに……」と言うのは、嘘をついているわけじゃないと思う。

老婦人が、孫に優しく「いい子だいい子だ」と言うのは、彼らの人生の中で出合った子供の中で、その子が真実いい子の範疇に入る、という意味ではないだろう。
けれど、言う気持ちに嘘はない。
女性、母親、母親的な人たちが、「真実とはちょっと違うこと」を本気で言えるのは、子供を人として育てるために備わった才能だと思う。
小さな頃に、「涼子ちゃんはいい子だもん。悪い事なんてするはずないよ」と言ってくれた友達のお母さんのために、悪いことは絶対にすまいと誓ったし、
「うんと勉強して、みんなを幸せにする人になるんだね。がんばって」と言ってくれた伯母のために、勉強した。
今度は、自分がその側にまわる年になって、やっとその才能がどれだけすごいものだったか、驚いている。

本当に、まったくの余談であった。
だけど、すぐれた役者は、そんな、見るものを完全に信じさせるくらい迫力の「人を生かす嘘」がつける人、なんだなぁ、と思った。
その中でも藤原さんのは飛びぬけてすごい。
『ムサシ』が待ち遠しくてならない。