DVD>舞台『ロミオとジュリエット』 主演 藤原竜也

さて、『オレステス』と同様、2004年の『ロミオとジュリエット』もDVDになっている。ありがたいことだ。2003年の『ハムレット』も、生きているうちに何とか見てみたいものだ。『ロミオとジュリエット』については、既にファンブログでいろいろ情報を拾った。ファンの方たちの愛情の深さに少したじろぐ。中途半端な気持ちで入っていってはいけない世界なんだと襟を正しつつ、『笑いの起こるロミジュリ』を鑑賞。そう言えば、高校生の頃、友達同士で「ひばりが鳴いている」「いいえ、あれはナイチンゲールよ」なんて言いながら、どっと笑ったものだった。ああ、そうそう、『シェルブールの雨傘』や『ある愛の歌』も、悪いジョークのネタの宝庫だった。あの頃は、恋人たちの交わす会話がひどく滑稽に思えたのだった。やだねぇ、理系女子は。

でも、そういう『笑い』などではもちろんなかった。恋する喜びでいっぱいのロミオ。可愛くて笑ってしまう。こんな可愛いロミオは初めて見た。恋をした相手から好きになってもらえる幸せというのは、確かにこんなにきらきらしたものだろう。微笑ましくて、見ていてとても楽しい。これが悲劇なのを忘れてしまいそうだ。それから、さっきまで子供子供していたのに、恋をした途端に大人の女性の鮮やかさを見せるジュリエット。こういう若いカップルでは、大体女の子が恋の主導権を握っていることが多いけど、お尻に敷かれる未来が簡単に予測できるやりとり。これも楽しい。その後の転落の場面とのギャップが激しくて、より一層悲しくなった。

ところで、どうも不思議だ。若い頃、特に思春期の頃の思い出というのは、布団をかぶって「うわーっ!」と叫びたくなるような、そんな地雷のような記憶ばかりだ。自己イメージとして、若さが生み出したのは醜悪なものばかり。そんなわけで、自分の子供ができたら、きっと幼児期よりも思春期の方が正念場だな、と覚悟していた。しかし、娘が思春期に入って、同じように精神状態が不安定になった時、それは私の目に少しも醜悪にうつらなかった。それどころか、むしろ瑞々しく、美しく見えた。
ジュリエットはあと二週間ほどで14歳になる。中学生だ。ロミオの年齢ははっきりとはわからないけれど、おそらく16~17歳。仲間同士で猥雑な話をして笑い転げるのが一番楽しい季節だ。映画では、公開時で18歳のレナード・ホワイティングと17歳のオリビア・ハッセーが実年齢に近い最年少のロミオとジュリエットとなっている。映像で見ると、本当に二人とも子供っぽい。藤原さんのロミオと鈴木杏さんのジュリエットも、本当に若々しさと幼さの中間くらいの雰囲気だ。こんな子供同士で、死ぬほどの恋をしたのか、そもそも子供は恋をするのか、とも思うけど、こんな子供同士だから恋ごときのために死んでしまった、という見方もある。まだまだ恋に恋する年頃で、お互いがちゃんと見えていないと思う。はらはらするんだけど、でも、こうやって眺めてみると、壊したくない。大切にしたい。私も年をとってしまった、ということなんだろうか。

二人がもし運命のいたずらに翻弄されることなく、そのままずっと夫婦のままだったら、たぶん、いや間違いなく、その恋はいつしか冷めただろう。あれほど輝いていた恋人も、時とともに色あせ、欠点も持ち合わせた等身大の存在となり、かつて自分を捕らえて放さなかった情熱も過去のものと感じられることだろう。・・・幸せそうな二人を見ていて、こういうこと考えちゃうのが、年取った証拠だ。でも経験値高いんだからしょうがない。もとい、二人は、情熱がもっと静かな愛情に代わる穏やかな夫婦になれるかも知れないし、家庭内で距離を取り合うよそよそしい仮面夫婦になるかも知れない。最悪別れる事もあり、だ。どれもよくあることだ。だから、一番燃え上がったところで死んでしまうのは、一番いい時に剥製にされた生物のような、そんな美しさだ。物語にするにはもってこいだけど、やっぱり死んだら終わりだと思う。

舞台の『エレファントマン』の中に、ロミオとジュリエットについての会話が出てくる。どうしてロミオはジュリエットの脈を調べたり、医者に連れて行こうとはせずに、ただ毒を飲んだのか。ジュリエットを愛していなかったからじゃないか、と。うーん、言われてみると、大切な人に死なれると、なかなかその死が認められないのが普通だと思う。人によっては自分をごまかすだろうし、人によっては何とか蘇生させようと悪あがきをするだろう。確かに不思議だ。どうしてロミオはこんなに早まったことをしたんだろう。ジュリエットも。・・・それは、立て続けに起こったことによって、悲しみの量が多すぎて許容値を超えたから。見ていてそう思った。本当に二人とも迫真の演技だった。

まだまだDVD感想文は続く。