『パフューム ある人殺しの物語』

つい先日、養老孟司著「超バカの壁」を読んでいたら、ちょうどタイミングよく、嗅覚の話が出ていた。いろいろ脳に絡めた味覚・嗅覚の面白い話が載っていたのだけど、その中に犬からよく吠え付かれる人がいる理由として、怖がっているのを匂いで犬に悟られるからではないかとあった。やっぱりそうだったか。私が怖がるから、怖がり臭が出ちゃって、犬が反応するのか。
犬は人間の百万倍以上の嗅覚を持っていると言われる。確かにそれでは人間の感情などどんなに隠しても犬にはお見通しだろう。映画の中にもかわいい犬が出てきて、殺人の手がかりを見つける大手柄を立てる。人類の最高峰に立つ嗅覚を持った主人公のジャン=バティストは、そんな犬並みの嗅覚を持っているのだな、と思った。遠く離れている人間が何をしているか、彼にはわかってしまうのが映像であまりに見事に表されているので、犬の超能力に近いものを感じた。ところが、調合師の方に言わせると、この主人公の嗅覚は、犬並どころではなくて、昆虫並み、なのだそうだ。うーん、それはどんな主観世界だろう。脅威の世界であることだけは間違いがないことだし、実際、彼は天才的な香水の調合師だ。ほとんど神のようだ。だけど、そのことによって彼が手に入れられなかった人間性をだんだんと知るにつれて、次第にモンスターに見えてくる。製作者は、ジャン=バティストを「羊たちの沈黙」の殺人鬼、レクター博士に例えた。まったく何の罪悪感もなく、淡々と人を殺す異常なシリアルキラー、という点では同じだ。だけど、彼にレクター博士並みの超人的な自我があるようにはとても見えない。もっと動物に近い感じがした。

ところで、映画の最初の部分は、とても象徴的だ。ジャンは盲目なのか、と思うような描写だった。そして、生い立ちの部分に入るや、何度も吐き気に襲われた。ここの部分は覚悟して見た方がいいと思う。猥雑な街の描写がときどきとても汚くて、「何もここまでリアルにすることないじゃない」と泣きそうになった。赤ん坊の描写は本当に勘弁して欲しかった。だけど、その反対に、香水の元になる大量の花々、そして、女性たちの亡骸があまりに美しくて。色も鮮やかだ。ライムや水仙の黄色。バラの真紅。ラベンダーの薄むらさき。草原の緑。とりわけ、少女の赤毛がまるで燃える炎のようで、白い顔の周りに巻き毛となって取り巻いていて、心を打たれる美しさであった。ジャン=バティストは、この美しさを匂いで知覚している。花が枯れる前に、その魂たる香りを香水として取り出して、永遠に保存する……。異常な殺人は、異常な才能と動機によってはじまった。「次に何が起こってしまうのだろう」というはらはら感は、近年見た映画の中でもトップクラスだ。ラストはいわゆる「二段落ち」というやつだ。本当にびっくりした。人間は、ここまで匂いに心を奪われる生き物なんだろうか。新しい視点だ。

さて、この映画の間中、私と娘は幻の香り、「幻臭に悩まされた。
映画が終わって、家に帰る道々、嗅覚が普段より研ぎ澄まされてしまっていることに驚いた。
嗅覚と味覚は、人間の、ずっと深いところに眠ったままの才能なのかも知れない。