『マリー・アントワネット』

まずはざっくりした感想から。最高に楽しかった! 特に目に楽しかった。

コミック『ベルサイユのばら』、通称『ベルばら』が空前の大ヒットをしたのは、私が高校生の時だった。その時代の女子高生の心情に、男装の麗人オスカルがストレートにはまって、相当に盛り上がったものだ。『マリー・アントワネット』という名前を聞いただけで、あの時の熱が蘇ってくる。世界史も選択していないのに、フランス革命の本を片っ端から読んだ。中でも『ベルばら』の主たる資料本がステフェン・ツヴァイク著『マリー・アントワネット』だと知り、じっくり読み込んだ。アントワネット寄り、というべきか、彼女を決して悪女として描いていないことで、悪本のレッテルを貼った批評家もいたと聞く。
『ベルばら』がヒットした後、フランスロケ、アメリカ人キャストで『レディ・オスカル』というタイトルで映画化され、喜び勇んで見に行った。しかし、オスカルのキャラクターが真逆に捻じ曲げられていたのが不愉快極まりなく、せっかくの伝統ある建物の数々も、妙に古びた人間味のないものに見えてならなかった。泣きたくなるほど失望した。でも、これが主流の映画作り、「男目線」というものだと理解した。むしろ、『ベルばら』の方が、徹底して女目線の異端の物語だということも。
そんなわけで、今回の映画に対しても深い失望を感じるかも知れない、と覚悟して行ったけど、それはすべて杞憂に終わった。ソフィア・コッポラ監督が、女性であることに加えて、「女流」を意識・強調した、男性目線の女性ではないからだな。アントワネットが、きちんと人間、女性として描かれていた。しかも、それは歴史の重々しい文脈ではなくて、いつの時代にも変わることのない、少女、若い女の子、子供をいつくしむ母親としての、気持ちの肌触りが伝わるように。あんまり物を考えない普通の女の子が、普通でない宿命に生まれたのが、どれだけ大変なことだったかを丁寧に描いているところが好感が持てた。歴史上の人物を、その頃よりはるかに自由で恵まれている現代人が裁く視点で見ると、何か嫌な構図になりそうだから。
アントワネットは、どちらかというと実務家ではなく、感受性の強い芸術家肌の人だったそうで、直に接した人々は、彼女を好きにならずにはいられなかった、という。その人が難しい問題を抱えたヨーロッパの国々を丸くおさめるための潤滑剤として政略結婚した。皮肉なことだし、寂しかったろうし、小さなことひとつひとつにも、とても傷ついただろうと思う。
オーストリアからフランスに嫁ぐために、馬車で長旅をして、国境で素っ裸にされて、身につけるものをすべてオーストリア製から、フランス製に変えさせられた。これは史実どうりだ。毎朝、着替えの儀で、大勢の中で裸になって手渡された服を着る、というのもそう。大勢の見ている前で出産した、というのも。まるで囚人か家畜みたいだ。私だったら耐えられないかも。王室の人間なんて、プライバシーも何もあったもんじゃないな、そう思いかけて、『ラスト・エンペラー』にもそっくりなシーンがあったことに気がついた。そして、最近の日本の皇室の出産についての報道も似たようなものだということにも。これが、庶民にはたぶん決して見えて来ない、上に立っているものの十字架なんだと思う。

庶民が夢見るけれど、そんな貧しい想像をたぶん超越していたはずの、貴族社会。贅沢な暮らしの中に溢れかえっている珍しい物たち、これが目に楽しいこと楽しいこと! 不謹慎かも知れないけど、こういう贅沢なものはやっぱり美しい。服や靴や髪型などの服飾品の華やかさ。色とりどりのお菓子。調度。庭園。演劇。……バックに流れる現代のポップ・ミュージックのためだろうか、観客は、既に遺跡と化した事物を、いま生きている日常として体感する。若い貴族たちが遊んでいるところなんて、道具立てが違うというだけで、今の若い子達と何も変わらない。もちろん、私たちの時も。普通だったら、この贅沢を支えている貧しいフランス国民の日常を対比させて描くところだろうが、そういうものはまったく出てこなかった。アントワネット自身、そういうものがあることすら見えないような暮らしだったのだから、徹底したアントワネット目線でいけば、これで正解だと思う。確かに、このポジションにいる人間に、宣伝されていたような悪意なんて、微塵もないんだろう。むしろ、街角に貼られたアントワネットを中傷するビラに、強い違和感を感じてしまう。かわいい人柄のアントワネットをキルスティン・ダンストが絶妙に演じていたので、その点はとても説得力あった。なのに「これが正解」だということが、たぶん、社会派をスタンダードにすると、通らなくなってしまう。

歴史というのは、その時代によって、解釈がどんどん変化していくものだ。歴史物の歴史(変な言い方)を見ていると、それがよくわかって面白い。あとひと世代経過して、自分の孫の自立を目前にした頃、作品としてマリー・アントワネットはどんな姿で描かれるだろう。長生きできたら、ぜひそれを見て、何か言葉にしてみたい。