木更津キャッツアイWS>四回目、行って来ました(,少々ネタばれあり 注意)

一日おきに映画館通いをしている。『木更津キャッツアイ ワールドシリーズ』の四回目を見てきた。布教用に多めに買っておいた前売りも、この分だと自己消費してしまいそうな勢いだ。でも、映画館を出た瞬間、またすぐに見たくなるのだから仕方がない。ファンの贔屓目というのではなく、紛れもない傑作だと思う。心の命じるままにヘビー・リピーターになってやろう。

ところで、これだけはまっているのにも関わらず、何とまだ涙をこぼすまでには至っていない。別にしらけているわけじゃないんだけど。やっぱり悲しいシーンは、ものすごく悲しくて、喪失感もひどい。なのに涙が出てこない。うー、どうしてだろ。臨終に至るまでの闘病シーンも、それまでのシリーズの「笑いのかわし」がなくって(アニを除く(笑))、それから逃げ出すキャッツたちの気持ちもわかってしまった。看取れなかった後悔の深さも。

それでも四回目、キャッツたちが「それを作れば彼が来る」の「それ」を完成したときに、アニ、バンビ、マスターが「ぶっさん、まだかな」とわくわくしながら待っているシーンで、ちょっとうるっと来た。あと、「ひとり多くね?」と言って、数えて……その視線の果てに、というシーンはかなり涙腺がやばかった。「そこかよ!」みたいな。ほとんどキャッツのお母さんになったような心境だ。そんなにぶっさんに会いたかったのか。しかし、「ぶっさんにばいばいを言いたい」という理由で呼び出すっていうのも、ずいぶんな話ではないか。「おかえり、じゃあばいばい」なんて。だから、最後のマウンドのシーン、みんなが「ばいばい」と言うときの、ぶっさんの顔がまっすぐに見れなかった。

ケビン・コスナー、大好きなので、『フィールド・オブ・ドリームス』も当然見た。おとぎ話なんだけど。これが現実だったらどんなにいいだろう、と切望したくなるような、おとぎ話だと思う。だけど、見終わったとき、あのお父さんの霊は、あれからどうなったんだろう、と気になった。会えて嬉しいけど、いつまでもそのままじゃいられないはずだよな、と。何となく、『木更津~』が、この映画のアナザーストーリーのようにも感じた。

生き返ったぶっさんの姿が、公助おとうさんにだけ見えない、というのは、どこかで「おとうさんが看取ったから」と説明されていたようだ。きっとそういうことなんだろう、と思う。全体通して、とても切ないところではあった。その小日向さんが、「これでやっと息子を、死の恐怖から解放してあげられた」とコメントしておられる文を読んで、はじめてワールドシリーズ絡みで泣いてしまった。

それで思ったのだけど、公助おとうさんにしろ、ローズさんにしろ、美礼先生にしろ、大人たちはぶっさんの死に対する受容がすごくちゃんとしてる。大人はこうじゃなきゃいけないんだな、と思う。

最後、市長室に美礼先生の白衣が飾ってあった。美礼先生の、なくなった恋人の白衣。あれが見た瞬間、なぜだかとても嬉しかった。

つづく