『時をかける少女』

川崎のラゾーナの中にある、できたばかりの109シネマで、見てきました『時をかける少女』。
今年度のナンバーワン・アニメ映画の呼び声も高い。
「おじさん・おばさん世代には、甘酸っぱい気持ちになれること請け合い」という口コミだった。
甘酸っぱかった、確かに。
異性に対する、あの初々しい感情って、17,18歳くらいの頃にしか持てないものだった。
告白されて、友情が変化することを恐れて「なかったこと」にしてしまう。そんな感情。
主人公の少女が、手放しでわあわあ泣いているところなんて、こんな風に恋で泣けるのは
今のうちだけだから、心残りがないようにいっぱい泣いておきなさい、と思った。
それでも、『私たちのとき』とは何かが違う。
高校生が男性二人女性一人の友情関係を築くなど、聞いたこともない。
異性を意識しはじめる年頃で、お互いの距離を取り合って、心地よい関係を続けていく……たぶん、恵まれた時代の、恵まれた子供たちの物語なんだ。
男らしさ女らしさでがんじがらめになっていない、いまどきの、都会の子供たち。
三人が出会って、友情を深めていくさまざまの出来事が走馬灯のように現れては消えていくシーンなど、切なさでいっぱいだった。
それは、未来人の時代ですら、もうかなわないほどの幸福な「絵」でもある。
人間は、戦火の中の最も不幸な時代でも、最も幸福と慈愛に満ちた絵が描ける、という
映画での伏線と繋がって、
少女の「なんとかする」という言葉が、重大なテーマとなっていくのだと思った。
なんでもない会話が、見終わってみると、ひとつひとつ意味深いのに気がついて
もう一度見てみたくなった。
ストーリーをすべて知ってから見ると、まったく違う物語に見えるに違いない。

『タイムマシン』という詩を書いたときに考えていたことが、
もう一歩進められそうだ。