『ゲド戦記』はじめに

今、『ゲド戦記』では、アフレコの真っ最中だ。今月いっぱい続くということだ。アフレコというのは、一般人の私が想像していた以上に時間のかかるものだということがわかった。我がアイドルは、アフレコの一番最初で、スタッフがうなるほどよかったそうなので、ファンとしてはひと安心である。彼の声は、時々、はっとする響きがあるので、そんな「声の感動」の体験を、見る人ができるポイントがたくさんあると良いな、と思っているんだけど……こっちも蓋をあけてみないとわからない。

映画としては、物語の世界観について、製作者の方たちの「読み」の深みを丹念に言葉にしている文を読んで、むしろ映画がもっと深く楽しめるような気がしてきた。今、なぜ『ゲド戦記』なのかということも。もっと言えば、なぜ原作者のル・グウィンが映画化をずっと断り続けてきたか、それも理解できるような気がした。映画文化そのものが、一歩間違うと単なる現実逃避として使われていて、その負の欲望を巨万の富に結び付けているアメリカ映画界の事情があるから、なのだな。映画界の赤狩りの話などを読むと、アメリカの自己イメージである『自由さ』こそが、真逆の現象を生んでいる、という気がしないでもない。
それはともかく、バランスを知覚する能力において、東洋人は一日の長がある。この映画、見てこころに響く人が多いことだろう。それと、既にCMで流れているテルーの歌だけど、私の好きな萩原朔太郎の詩を題材にとった、と聞いて、とても嬉しく思った。しかも、作曲がなんと、谷山浩子さんだ! 歌は、真っ直ぐにこころに来る。

というわけで、公開までがんばる。

スタジオジブリ『ゲド戦記』製作日誌
青空文庫
『こころ』の詩は、この中の『萩原朔太郎』の『純情小曲集』に収録されている。