『陰日向に咲く』劇団ひとり

娘が買ってきた。「ともかく面白いから読んで」と言う。「わかった」と受け取り、例によってまだ読んでいない本の山の頂上に置いた。こんなことは過去、何回もあったけど、今回に限って「もう読んだ?」と毎日聞くところを見ると、どうやら娘にとって特別な本らしい。どうしても私と読後の感想を語りたいらしい。というわけで、連休に入った二日目の今日、読んでみた。二時間で読めてしまった。娘の言うとおり、面白かった。いや、面白すぎる。これが処女作なんて、何かの間違いか、さもなきゃ話題づくりのための嘘なんじゃなかろうか。……いけないいけない、年取ると疑り深くなっちゃって、つい。百歩譲ってビギナーズラックだと解釈しても、すごすぎる。これが才能というもの、なんだろうか。
才能と言えば、『ゲド戦記』の製作日記をジブリのブログで公開しているけれど、その中で鈴木プロデューサーが、監督を吾郎氏に推した時に、「絵は観察眼がある人なら誰でも描ける」と話されていた。その「観察眼がある」という条件のハードルが、たぶん一般人のレベルでは測れないほど高いのだろう。だけど、そうなると、絵の世界で昇っていくことができる人間というのは、それまで絵を描いたことのない人の中にもいる、ということになる。この当たりの展開に、何かとても壮大なロマンみたいなものを感じてしまう。
小説も同様だ。小説を書く資質も、おそらくは観察眼だ。この『陰日向に咲く』には、人間、それもあまり立派ではない人々に対する観察の鋭さと暖かさを同時に感じる。特に、アイドルファンの気持ちをここまで理解してくれる人がいるとは思わなかった。「一方通行の愛」とか、アイドルのために自分が苦しんでいるところが、むしろ快感だとか。道端に咲いていた花なら、誰もが気づいて美しいと言ってくれるだろうけど、花がたくさん咲き乱れている花畑に咲くことを選んだのがアイドル。その中のひとつを「この花、きれいだね」と言ってあげることはできる。そう思ってインターネットで、応援メッセージを徹夜して書きまくる。このあたりなんて、本当に身につまされて泣けてきそうになった。傍目には変質的で滑稽極まりないことも、「一人称」であれば、必然なんだな。残念ながら、ジャニーズの場合は、事務所の力が強くて、その「売れる」基準も他よりずっと高く設定されているので、「四人しか客がいない握手会」なんてあり得ないけど。
ところで、オムニバス形式の短編が5つ。六人の主人公の一人称ですべて語られている。男性作家の中でも、女性が真に描ける、稀有な才能だと思う。最後の方の老女の手紙は、さすがにうるっとしてしまった。それぞれの人生は、すべてどこかで繋がっている。その繋がり方も、それぞれの人生の分岐点とでもいうべき節目であったりする。そして、最初から最後まで、この小説全体を貫いているキーマン的な人物が一人いる。さて、それは最後のページまでわからない。最後まで読んで、さわやかな気持ちになること請け合い。
さて、今夜は娘とこの本のことで語り合おうと思う。