『イーオン・フラックス』

シャーリーズ・セロン主演のSFアクション映画、『イーオン・フラックス』を見てきた。
以前、映画館で別の映画を見たときに、予告編を見て、あまりのかっこよさに、封切になったら見ようね、と娘と約束していた。
だから、待ちに待った鑑賞、だったはずなんだけど・・・・・・。
シャーリーズ・セロンは文句なくすばらしい。
クールな美貌に加えて、完璧なプロポーション、身のこなし・・・・・・。
ここまでのアクションができる女優がたくさんいるアメリカ映画界がうらやましい。
アクションのアイデアも、実にバラエティに富んでいて、スピードがあって、この当たりは少しも飽きないし、すかっとする。
もうちょっと、主人公イーオンが生身の人間らしさを持っていたら、もっとスカッとしたかも知れない。
でも、この部分ではおなかいっぱい。確かに楽しい。
だけど、純粋に物語を楽しむ、という段階になると、「人間の命をメインテーマにしたSFは、物語作りが難しいね」という感想で止まってしまう。

ウィルスのために、人類の99パーセントが死滅する、という設定は、スティーブン・キングが『スタンド』に用いた設定だ。
もちろん、キングの筆にかかると、それらはそれぞれの生活の細部まで及んだ、「実際に起こったらこうなる」というリアリティで表現される。
『イーオン・フラックス』の世界では、その事件からさらに400年が経ち、人類は城壁に守られた都市に住んでいる。
もろに未来都市、という感じだ。自然までが、完全に管理された状態で、内部に配されている。
「原材料は? 産業はどっうなってるの?」という疑問をかなり強く感じたけれど、製作者はそういう考察はしなかったみたいだ。
ここで嫌な予感がする。
実際は、「アメリカ的都市生活」ができる条件は、その何十倍もの人間の泥臭い労働があってこそだ。
現代では、それはアメリカ以外の国の人々が支えている。
だけど、実際に都市生活をしている人たちは、それが普通の状態であって、それが「どうやって」成り立っているか、普段は意識していないのだろう。
というわけで、いろいろな意味でのリアリティがなくなっている世界観なのに、いのちの問題だけリアルにしようと思っても、何か嘘っぽくなってしまう・・・・・・気がする。
あと、クローンは、自我や記憶の連続とは無関係なはずなので、それをごっちゃにしているところが、お話としてすっきりしない。
高度なアクションを楽しむ、ということであれば、設定に多少の矛盾があっても目をつぶるべきかも知れない。