『ALWAYS~三丁目の夕日』

お正月休みに、ひとつ映画を見とこうと思って、ネットでいろいろ情報を拾ってみた。
今回は、評判が良いものを試しに見てみようと思って、
三丁目の夕日』に決め、レイトショーで見てきた。
夜遅くなのに、人がいっぱいでびっくりした。
それがまたのりがいい客で、笑うところでは笑って、
泣くところでは鼻をすする音があちこちから聞こえてきた。
『客席が一体になれる稀有な映画』という評判は嘘ではなかった。
かく言う私も娘も、泣く予定はまったくなかったにも関わらず、すっかりやられてしまった。

泣きのつぼは、子供が中心の場面が多かった。
隣の席の若い女性などは、もう場面によってはしゃくりあげていた。
何か、思い出があるのかなぁ、なんて思った。
あの頃は、子供たちが素直に大人を信じていた。
大きくなってから、初めてその時の、大人の「やせ我慢」を悟って、切なくなる。

つぼは「泣き」ばかりではない。
私の幼児の頃に見たものが次から次へと出てくるので、
もうそれだけですっかり気持ちよくなってしまった。
見たことがないはずの娘も、「何か懐かしい感じがする」と言う。
つい昨日のことのように感じるけれど、あの時代から50年近くが経った。
確かにご近所同士はみんなお互い助け合って暮らしていたような気がする。
つい熱くなってしまう、頑固な親父さんもいたし、
世話好きで心配性なお母さんもいた。
子供たちは、本当にみんな元気だった。
良い事ばかりではなかったけれど。
もうあんな時代には二度と戻れないだろう。

氷で冷却する冷蔵庫から、電気冷蔵庫を買い換えた『鈴木オート』の家の前に、
古い冷蔵庫が捨ててあるのを、じっと見て通り過ぎる男性がいて、
それを見て胸がちくっと痛んだ。
確かに、新しくて便利なものが出てくると、
古くて不便な物はこうやって捨てられる。
ずっとそうやって暮らしてきた。
苦しい時代があったから、捨てるたびに、「もったいない」お化けに苛まれるけれど、
仕方がない、とばかり目をつぶって捨てる。
形のあるものを捨てると、同時に形のないものも、嫌でも捨てることになる。
何となく、じわじわと人間関係が希薄になっていった気がする。
・・・いや、だけど、絶対に、「昔の方が良かった」なんて言わないけれど。
切り捨てたはずの大切なものを、もう一度別の形で現代に蘇らせる方が、
生き方としてきっと正しい。

なんだか、そんなことを取り留めなく考えてしまう、
そんな余韻のある、すばらしい映画だった。