『仄暗い水の底から』ビデオ

ダーク・ウォーター』で感動して、リメイクされた元映画を見てみたくなって、借りてみた。
本当は、黒木瞳さんが『東京タワー』の頃から気になって気になって仕方がなかったので、『新境地をひらいた』と言われているこの作品はずっと前から気になってはいたのだ。ただし、ホラーは恐いので、条件が整わないとなかなか……。
余談になるが、黒木瞳さんにやられてしまったのは、舞台挨拶の『エクスタシー』発言からだ。夏目雅子さんの『ばばしょく』発言以来20数年ぶりのサンダーストライクである。『ひそみにならう』という言葉があるが、美しい人の思いがけない言動が、つや消しどころか、ますますその人を輝かせてしまうというこの構図。たまらない。
さて、映画であるが、びっくりするほど『ダーク・ウォーター』と似た絵が出てきた。特に建物のディティールを描写するシーン。事件の舞台となるアパートの部屋割りや『見え方』がそっくりなのには驚いた。『ダーク・ウォーター』の制作者が、意図してそっくりに真似たに違いない。しかし、日本ではこの規模のアパートは、母子家庭が暮らすにはそこそこのクラスのものだけど、アメリカでは低所得者しか住まないスラムなのだ。我ながら新発見だった。基本的に家具無しでは生活できないアメリカでは、日本よりずっと狭く感じられ、その分だけ母娘が寄り添って生きている感を強めている。
こんな感じで、同じものと違うものいろいろ出てきた。和製の方が、オカルトとしてはずっとおぞましく、恐かった。もっと救い様のない『つきまとわれ感』があった。それを救うかのように、オリジナルでは主人公をとりまく人々は、善良な人と嫌な人が明確に区別されていた。この『わかりやすさ』は、化け物のわけわからなさの対極にある。それから、主人公はそれほど強い人ではなかった。あまり現実的な対処ができる才覚のある人ではない感じをかもしだしていて、それが『逃げられない』という恐さを演出している。この当たりはうまいと思う。

しかし、『ダーク・ウォーター』と一番違う点で、あたまにきてしまったのが、子供がどうしようもない化け物になっていることだ。最近の和製ホラーブームで作られた映画には、子供が化け物になっているものが圧倒的に多い。『リング』はちよっと違うかな……けれど、『ボイス』『呪怨』『着信アリ』などはそうだ。子供は「わけわからない」ものなんだろうか。だけど、大人だってみんな昔は子供だったから、「こどものきもち」だった経験はあるはずなのだ。なのに、どうして理解不能の化け物に仕立ててしまうのだろう。ましてや、死んでも誰にも見つけてもらえないかわいそうな子供なのに。こんなことでいちいち怒るのは、私が母親だから? 死んだ者の気持ちにまで思いを馳せて映画を作ったらホラー感が薄まってしまうから、この当たりはジレンマかも知れない。