『オール・ザ・キングスメン』

川崎のトーホーで見てきた。

原作のタイトルだけはずいぶん前に知っていた。英語の物語にはマザーグースを元にしたものが多い、という趣旨の本に、クリスティの「そして誰もいなくなった」や「風が吹いたら」と共に紹介されていた。
というわけで、タイトルの元になっている、マザーグースの『ハンプティ・ダンプティ』の歌詞を拾ってきたので、覚書で書いておく。ちなみに、よく知られているように、このハンプティ・ダンプティは卵を表したもので、歌自体がなぞなぞになっている。

Humpty Dumpty sat on a wall.
Humpty Dumpty had a great fall.
All the king's horses and all the king's men
Couldn't put Humpty together again.

ハンプティ・ダンプティが 塀の上
ハンプティ・ダンプティが おっこちた
王様の馬みんなと 王様の家来みんなでも
ハンプティを元には 戻せない

これでいくと、タイトルの「オール・ザ・キングスメン」というのは、権力にものを言わせて王が投入した家来の力、なおかつ、それが無駄に終わった、というふたつのニュアンスを含めている。そして、物語では、主人公のウィルが知事となって腐敗してあがく様と、ついに破滅してしまう様を暗示している。なかなかおしゃれなタイトルだ。中身もおしゃれというか、豪華なキャストとアメリカ混迷の時代のにおいをぷんぷんとさせた映像で、とても贅沢な感じはした。ただ、時系列と人間関係が途中まですっきりとわからなかったので、話が見えにくかった。それぞれの人間の心の秘密については、目撃者であることを一手に引き受けているジュード・ロウ演じるジャックが、後手にまわっているとはいえ、明確に「映像として」いろいろ謎解きをしていた。結局、彼自身は見えているというだけで、不幸な結末を何一つ止められなかったんだけど。ジュード・ロウの抑え気味の目の演技にはかなり引きこまれてしまった。

ところで、映画を見て思うのだけど、南北戦争で、大農場を経営していた南部の貴族たちが、北部の工場主たちに敗れる、というアメリカの政治上の構図は、戦争が終わってもずるずると続いていったようだ。知事になったウィルが打ち出す貧しいものに益する政策に対して、ルイジアナの工場主たちが抵抗するさまを見て、そう思った。アメリカのジレンマそのままの葛藤だと思う。南北戦争だって決して黒人開放というヒューマニズムを機軸にして起こったのではなかった。そもそも人間が純粋にそうした動機だけで戦争をしたことなど、いまだかつて一度もなかったのだと思う。だけど、人々を掌握する際には、やっぱり美辞麗句がどうしても必要になってしまうのだろう。腕を振り回して演説するウィルを見て、ケネディヒトラーの演説の映像を瞬時に連想して、胸苦しくなった。もうそれだけで、次に起こる忌まわしいことが想像できてしまう。政敵の粛清。そして誰かの理不尽な死。そんな中、名優ショーン・ペンは、最後の最後まで、本音が善なのか悪なのかわからない、混沌な存在であることを、絶妙な表情で表し続けていた。ウィルは本当に堕落して「変わってしまった」のだろうか。私にはどうしてもわからなかった。
この物語の世界で、最も「善人」だと言われている人間が最後にやらかすことも、私にはどうしても悪以外のものには見えなかったから、純粋な善悪というものを前提にすること自体、本当は無意味なんじゃないか、という気がする。あの最後に血が混ざるシーンの意味は、そういうことなんじゃないかと思う。

個人的には、かなり好きな映画に入る。