『ホリデイ』

さて、『恋愛適齢期』のナンシー・マイヤーズ監督の新作だというので、見てきた。予告編を見た段階ですべての筋が予測できだが、それは的中した。物語の意外な展開ではなくて、そんな中のお洒落な会話を楽しむのがこの監督の作品の正しい鑑賞法だと思うので、ありきたりであることについては不満はない。どうも、監督の経歴を見ると、自分の体験を映画に大々的に盛り込んでいるとしか思えないし。一人の女性としての悩みがたくさん盛り込まれているようだが、願望もついでに盛り込んでしまっているかも知れない。クリエイティブな仕事を長年してきた女性の人生を追体験する、という意味では、個人的にかなり興味がある。『恋愛適齢期』は、かなり元気が出る映画ではあった。ともかく毎日元気に仕事をしようと思った。これが大事なんだ。結論からすると、『ホリデイ』は元気が出る系のコメディだけど、『恋愛適齢期』よりは少し感動が落ちる。それは主人公たちが、それよりずっと前の段階だからだと思う。

さて、その『ホリデイ』だが、ロサンゼルスとロンドンに住む二人の女性が、それぞれの失恋の傷を癒すために、インターネットのサイトで、お互いの家を二週間取替えっこすることに同意する。二人は、それぞれ新しい場所で新しい人と出会い、失恋の傷はいつしか……。新しい出会いが割りとイージーな気もした。だって私だったら、会ったばかりの人と、そんなに親しくなんてできないもの。まあ、それは置いといて。しかし、それぞれの女性、アマンダとアイリスの失恋のパターンが真逆だというのが面白い。プログラムの中にも書いてあったけれど、「みんな彼が悪い」と思うのと、「みんな私が悪い」と思うのと。で、それをうまく中和してくれるようなぴったりの相手が、新しい場所で見つかる、と。うーん、あまり感情移入できない。アメリカ人というのは、恋愛に対して、どうしてこうもピュアな態度を取る人たちなのであろう。もう、一点のくもりもないハッピーエンドで、いけないと思いつつちょっと白けた。

ただ、今回、特に良かったと感じたこと。ロサンゼルスという場所が、映画人とそれを支える人々が作っている街だというのを、身近に感じたことだ。アマンダは、映画の予告編CMを作る制作会社の社長だし、アイリスの隣人アーサーは、かつてアカデミー賞までとったことのある脚本家で、ハリウッドの生き字引みたいな人で、新しい恋人になるマイルズは映画音楽家。マイルズの前の彼女は売り出し中の女優。それはまさしく監督の住む世界そのものである。だから、アーサーが映画の歴史について語る言葉は、ひとつひとつとても重い気がした。映画を見終わった後、インターネットで映画の歴史について調べてみた。ハリウッドの黄金時代というと、アメリカン・ニューシネマの前の頃だ。そう言えば、ニューシネマの代表作、「卒業」をアイリスがレンタルDVDショップで見つけて語っているとき、偶然居合わせたダスティン・ホフマンが「わかっちゃったか」とつぶやくコミカルなシーンがあって、思わず噴出してしまう。また、アーサーの口から「大作主義」「DVD」「シネマコンプレックス」などのキーワードがたくさん出てきた。監督の作品作りの傾向なども考察すると。今のハリウッド映画に対する、監督の静かな批判、と受け止めるのが正しいと思う。

古い映画をたくさん見てみたくなった。