時間の発見、もしくは発明

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前から感じていること。
エッシャーの絵の中には、哲学的な題材が隠れているのでは、と思わせるものがある。その中のひとつ。「三つの拡がり」 1955年。
池か湖の水面の絵である。そこには、木々の鏡像、水の上の落ち葉、水の中を泳ぐ魚が「同時に」映りこんでいる。水面を人間の脳、もしくは意識のシンボルであると仮定して、みっつのそれぞれの像は、「未来」「現在」「過去」を表しているのではないか。個人的には、魚が未来、落ち葉が現在、木々の陰が過去を表していると思う。
数字に、何かしら霊的なシンボル性を感じて、物事の基本がその数の要素でできている、と捉える世界観がある。「2」にそれを感じて、「世界には二種類の何々がある」というフレーズが最近流行っていた。レトリックとして面白いものも多い。また、「フォース・エレメント」と「五行」は、それぞれ世界が、4つ、あるいは5つの要素でできている、という思想だ。物理学も化学も存在しない頃に、すべての物が少ない数の「要素」に分解できると直観した哲人がいた、という事実。
そして、「3」という数字。それにさまざまなものが当てはまるけれど、覚えやすくて安定感がある。「過去」「現在」「未来」という時間についての分類は、特に、昨今は脳の研究に結びついて、その意味を深めているように思う。もし、エッシャーが、私の直観どおりに、この絵を「時間」をイメージとして表したのだとしたら、その時間の解釈に強い共感をおぼえる。
 音も立てずにしのびよる未来
 フラッシュのようにきらめく今
 決して追いつけないスピードでとびすさっていく過去