『花よりもなほ』の予告編

夕べ、横浜の109に『かもめ食堂』を見に行ったら、『花よりもなほ』の予告が流れてきた。
『きたーっ!』と、思わす言っちゃった。
剣はからきし弱いけれど、逃げ足だけはすばらしく速い侍。
そんな主人公であれば、ふた昔前だったら、純然たるコメディとして作られるものだったろう。
日本の侍=軍人というのは、全方位的に強いことが前提だから、弱いとなると、どうしてもそういうひねった描き方になる。

ところが、我がアイドルは正しく美しい。
ただ美しいというだけではなく、どこか翳と深みのある美貌の持ち主である。
コメディもいけちゃう力量のある役者ではあるけれど、コメディ専科ではない。
そんな人が弱い侍って。
「どんな映画になるのかな」と、期待半分、不安半分だった。
予告見て、不安がなくなって期待が高まって、あと二ヶ月ちょっとを指折り数えて過ごせそうだ。

お面からそっと顔を出すシーンなど、長くファンをやっている私でも、そのすごみのある美しさにくらっときた。
あのシーンに出会うことを思うだけでも、毎日が楽しくなりそうだ。

ところで、是枝監督の『誰も知らない』を見終わった後、このタイトルって、一種のトラップだと思った。
戸籍さえもない子供四人が、母親に捨てられて、アパートでサバイバル状態で暮らしている内、幼い女の子が死亡した。
周囲の人たちは、誰もその子達の存在に気がつかなかった。
・・・・・・この実際にあった事件の悲劇性について「誰も知らない」と名づけたのだと思い込んで、映画を見た。
だけど、見終わって「誰も知らな」かったのは、普通の子が普通に与えられている物を与えられていない子供たちが、誰もが想像するような荒み方をしなかった真実だ、と悟った。
もらったジュースを、四人で分け合って飲んだ後のガラスのコップだけが映ったシーン。
悲壮な気分で分け合ったわけではなく、彼らにはそれが普通だったってこと。この豊かさ。
これを、事件をニュースで聞く人は誰も知らないし、この映画でこうやって訴えてもなお、理解しない人もいる。
監督のホームページを見ていて、思わず考え込んでしまった。

花よりもなほ」にも同じように、トラップ、というか、あまねく浸透しているイメージをくつがえす部分がある気がする。
監督や役者のコメントを読んで、そう思う。
というわけで、六月三日が待ち遠しいことである。