『ジャーナリズムって何ですか?』 05/05/08 ベンジャミン・フルフォード さん

-5/8放送
ベンジャミン・フルフォード さん
テーマ:「ジャーナリズムって何ですか?」
一週間のお休みを経てのゲストは、ジャーナリストのベンジャミン・フルフォードさんだ。出版されている書物は、やわな私の基準からするとかなり過激な感じがする。嫌な表現だけど「身の安全は大丈夫ですか?」と心配したくなる類いの過激さ、だと思う。そうしたら、やっぱりジャーナリストでいのちを狙われるほど勇気のある人の話、というのが出てきた。
さて、以前ホームページで、とてもトリッキーな主旨をもって、山本周五郎の『ひとごろし』という短編小説の名前を出したことがある。あらすじはこうだ。誰ひとり太刀打ちできないほどの剣豪が、主筋殺しをする。それを仇討ちせんと追う藩士が、この剣豪の後についてまわって、剣豪がお店などに入ろうとするたび、「ひとごろしー!」とやる。その剣豪は、お金を持っているにも関わらず、何も食べられず、最後に降参する、という話である。弱い者が、強い者を倒す方法がある、ということを、それとなく言いたかったのである。つまり、いかに強くても、それは社会の中で安定したポジションを持っていればこそだ。強い者がなした不正を、的確に暴く武器を持つのは、強者の暴走を防ぐ、弱者の防衛手段なのではないか、と。
その発想で、たぶん悪をあばくジャーナリズムも発達してきたのだと思う。だけど、強者だって当然防衛策を考える。陰惨なことがたくさんあったことだろう。しかし、今はマスメディアの他に、インターネットがある。世の中を良くする力を持った強者が、理不尽につぶされていく事態も深刻だと思う。だけど、これは「強者にとって不都合なことを弱者が言うと、いのちが危ない」という事態を薄めてくれる、という面もあった。どっちがどう、と私には言えない。フルフォードさんは、インターネットには批判的な様子だったけど。
ところで、たくさんある事実の中から、一部の事実だけを取り出して書くと、「嘘をつかないで嘘がつける」と、以前、『芸能人と人権』というシリーズの中に書いたことがある。それとまったく同じことをフルフォードさんが言われたので、私の考えが間違っていなかったと思って嬉しかった。あれは、決して何かの本に書かれていたことを引用したのではない。ネットで情報戦をやっていたら、自然にわかってしまったことだ。そもそも、誰かを仲間はずれにして中傷する人は普通これをやっている。とてもシンプルな精神活動なのかも知れない。事実を余すことなく正確に記述して、真実を伝える,と言う方が遥かに高度なことだと思う。短い時間の中での対話だったから、その他のいろいろな「心構え」を表現できないで終わってしまったのかも知れない。例えば、インタビュー相手に予断をもって接しない心のテクニック、だとか、そんなこともたぶん一流のジャーナリストの方は持っているのではないかと想像している。
しかし、「若い人の将来が盗まれている」というのは、戦後はじまった年金制度が、年寄りが若い者の将来を食いものにする為のものだった、という報道にとても似ている気がした。その点は事実ではなく、現象に対するフルフォードさんの一主観に過ぎない気がする。日本ほど、子供の教育費を親が負担する国は、他にない。なのに、若い人の被害者意識ばかりが膨れ上がると、また学園紛争のような不毛で実りの少ない事件が頻発するのではないかと、それが心配だ。……なあんて思っていたら、岡田くんが最後に同じ感想を持ったみたいで、すごく感動した。人間を善悪で切り分けないセンスは、デビューしてから一度もかわったことのないオカダジュンイチの美徳だな、と敬愛の気持ちをまた強くしたのであった。