「【ドラクエ】はなぜヒットしたんですか?」06/08/27 堀井雄二さん

岡田くんにとって、心待ちにしていたゲストのようだ。滅多にこうしたメディアに出ない、それこそ雲の上の方だそうなので、リスナーとしても、とても貴重な体験をさせてもらったのだと思う。岡田くん、グッジョブ。「うははは」という豪快な笑い声がふたりして時々あがるのも、楽しかった。

ところで、ドラクエを子供の頃からやってたと岡田くんが繰り返すので、世代の差を再認識してちょっとめげた。思えば、私とゲームの出会いと言えば、大学に通っている頃に生まれた兄の子が、幼稚園でみんながゲームしているから買って、と親にねだったところ却下されて、私のところに「おとしだまをおくってね」と葉書を送ってきたのだった。その行動力にほだされてお年玉をあげ、めでたく彼が手に入れたのが出たばっかのスーパーマリオとゲーム機だった。
ものすごい集中力で長時間ゲームをしている甥を見て、「大丈夫なのかな」と私も言っちゃった方の口だ。そう言えば、甥は初期のガンダムのファンでもあったので、彼がまずいことをしでかすたびに、それは全部アニメとゲームのせいにされていた。堀井さんの言われるとおり、かつてはテレビがその「悪者」にされていた。私などは、そのジャスト世代だ。今の幼い子供たちだと、携帯とインターネットあたりがその「悪者」のポジションだ。私の祖父・親世代の人たちにとって、それは「文学」や「映画」だったそうなので、新しいメディアというものは、いつだって世間から警戒の目で見られる宿命にある、という法則は不変のようだ。納得。

さて、ドラクエに関して言えば、私はⅣからだ。30過ぎた頃。まったく何の予備知識もなくはじめて、「飛んで」しまったのだが、こういう体験は映画や本やドラマではあっても、まさか、ゲームでするとは思ってもみなかった。聞いたときには意外な気もしたが、堀井さんが言われるとおり「啓蒙する」意図はまったくないのにも関わらず、それはユーザーに「見出されて」いくものなのかも知れない。でも、あの、地球とは違う世界地図。出会った時には、言葉では言い表せない喜びを感じたものだ。それは、子供の頃本で魔法や秘宝などの新しいアイテムに出会った時の、あのわくわくする感じに似ている。

ところで、謎は作っている者にとって簡単なくらいでちょうどいい、というお話が面白い。『これ難しいよ。俺は解けたけどね』って、プレイヤー全員がそう思うのがいいバランス、なんて、人間存在の皮肉さが見えてくるエピソードだ。仕事をしている内に、こういうものがいろいろ発見されていくのだろうし、それが仕事を長くしている人の「厚み」になっていくのだろう。こういうお話を聞くと、年をとるのは必ずしも悪いものではないと思える。あくまで、ちゃんと生きた上でのことだろうけど。ロールプレイングゲーム自体が、世界や人生をいろいろな切り口で再構築したものだから、見えてくるものもかなり興味深いものがありそうだ。もっとお話が聞きたかった。特に、「世界づくり」の基礎についてもっとたっぷりと。一時間がとても短く感じてしまった。

堀井さんが言われる、今の自分ではない、もう一つの人生を体験する、という娯楽は、古来物語というものが担ってきたものだと思う。本、演劇、映画、などなど。そこに、コンピューターの特質を生かした、自分がやったことに対して応えてくれるインタラクティブ性を盛り込んだものが、ロールプレイングゲーム。これを人類が得ることができて、その上、画質がどんどん良くなってくる。私個人の経験で言えば、生きる上での法則を自らの力で掴む能力は、かなり鍛えられるように思う。それを楽しみながらできる、というのもいい。ゲームの今後については、この点に特に期待している。岡田くんもその点については同意見のようで、ファンとしては嬉しかった。