娘が生まれた街に行ってきました

イメージ 1

イメージ 2

今日は、娘が生まれた街、西葛西に行ってきた。
娘が三歳のときまでいたから、15年ぶりになる。
すっかり変わってしまったところと、
変わらないところがあって、面白かった。

娘の服や小物を作る材料を買っていた小さな店が、
一瞬なくなってしまったかと思ったら、お洒落で立派な店になっていた。
そっとのぞいたら、同じ店員さんが、15年分だけ年をとって
ちゃんとそこにいたので、嬉しくなってしまった。
いいお店だったもん。当然よ、と言ってみる。

娘が生まれた産院は、駐車場になっていた。
「つぶれちゃったのか」とがっかりして、周囲を見回したら、
少し先に同じ名前の病院がある。
行ってみたら、元は二階建てだった病院は、
五階建ての立派なビルになっていた。
しかも、玄関のつくりが、私の記憶の中の元の建物と
寸分たがわず同じだった。
自分でラマーズ法を勝手にマスターして実行していた私に、
「あなたなら子育てだって大丈夫」と力強く言ってくださった院長先生、
新しい病院の玄関を同じつくりにするなんて、あの先生らしい。

あの頃真新しかったカラオケは、ちょっと古びはしたけれど、
小奇麗に掃除されて、営業していた。
あそこでサリーちゃんやアッコちゃんの歌をそらで歌って、
娘の尊敬を勝ち取ったのだった。

駅前のビルにあった鍼灸院と小児科クリニックは、いっぱいお世話になったけど、
なくなっていて寂しかった。

私たちが住んでいたマンションは、入ったときには新築で、周囲にも建物がなくて、
明るい暮らしを約束してくれるお城のように見えたものだ。
住人も、若夫婦や小さな子供のいる若いパパママが多かった。
それが、行ってみたら、周囲にマンションがたくさん立って、肩身が狭そうで
古ぼけてみすぼらしかった。
何だか、外からぱっと見る限りでは、生活感がまるでない。
築19年も経てば、こうなってしまうんだな、と、こっちも寂しかった。

赤ん坊の娘とよく行った公園をひとつひとつまわった。
家に一番近くにあったポケットパークは、残念ながらなくなっていた。
ところが、動物園のある行船公園(写真)は、時間がとまってしまっていたかのように
何もかも変わっていなかった。
もちろん、私の記憶の中で遊んでいる子供たちは、もう20前後の年になっていて、
今、目の前で遊んでいる子供たちとは違うんだけど。
何だか、ものすごく救われた気がする。
あと、臨海公園までタクシーで行って、そこから電車に乗って帰った。

というわけで、急に思いついて行って見た、『記憶をたどる旅』の
『娘の赤ん坊時代編』はこれにて終了。