あくまで個人的な感想。
言葉には、落ちてくるものと、ひねり出すものがある。
落ちてくるものの方が価値が高い。どうやら。
落ちてくるものはコントロール出来ない。
宇多田ヒカルさんの「ぼくはくま」という歌の中に、「喋れないけど歌えるよ」というフレーズがある。
てっきり「ありえないこと」をユーモラスに表現したものと思い込んでいた。
ところが、ブローカ失語症というのが、まさにこの「喋れないが歌える」症状なんだそうだ。
同じ言葉を発声しているのに、使ってる脳が違うのだとか。歌は確かにロジックではない。
ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」に、韻を踏んだ詩でないと理解しない、ウユララなる神?精霊?が出てくる。
歌しか発声できない障害があるのなら、詩しか理解できない存在もいるのかもしれない。
詩とは、「落ちてくる言葉」で大抵が構成されていて、論理的なわけではないのに、妙に心にはまる時がある。
アジテーターの演説には、詩的な言葉が多いのは理由があるのだな、とふと思う、新しい時代の1日目の午後。
・・・こんな、とりとめないことを書く、独り言ブログです。