映画「PLAN 75」見ました。

数日前、「PLAN 75」を見ました。本当は午前の回を見ようとしたのですが、ほぼ満席で、仕方なく午後にしました。こんな風にチケットが取れないのは久しぶりです。「観客は高齢者ばかり」と噂に聞いていたのですが、確かにやや高めの平均年齢を感じはしましたが、家族連れや若い女性のグループもたくさんいました。

以下ネタバレを含みます。

この映画を見て、幾つも連想した物語があります。まず、真っ先に米映画「ソイレント・グリーン」。それから、米SFドラマ「スタートレック」の96話「決別の儀式」。最後に姥捨山伝説を題材にとった「楢山節考」と「デンデラ」です。人類は、時代が閉塞するたび、構成員の中の誰かを排除してきた黒歴史を持ちます。殺戮まで発展した人種差別、宗教弾圧なども、それに含まれるでしょう。ですが、棄老は、すべての人間がいつか排除される側に回る可能性があるところが独特です。それを時代劇やファンタジーにした幾つもの名作と、地下の水脈で繋がった映画でした。題材としては重苦しく、でも避けて通れない課題です。重苦しさが1週間経っても心から消えず、引きずっています。

おそらく、見る人によって、受け取り方が大きく異なる物語でしょう。若ければ、高齢者を「見る」側でしか見られないはずです。自分がそうでしたから。この物語の主人公の年齢の後期高齢者に該当する人であれば、これからどうやって生きていくか、何か拾いたくて見に来られたのでしょう。私は、あと少しで主人公の立場に立ちます。歳をとることによる生き辛さは、急にやってくる訳ではなく、少しずつ進行していくものです。身体が辛くなるのは、過去に病気をやったこともあり、年齢と強く結びつけては捉えていないのですが、問題は社会での立ち位置の方だと思います。コロナ禍を始め、様々な要因で分断が進んだため、一気に問題が深刻化した感があります。

物語では、PLAN75を遂行する役所の担当者と、サポートをするテレオペ、施設の雑用係の若い3人が出てきます。みんな最初は仕事を淡々と進めていきます。ホームレスがベンチに寝られないように手すりをつけている場面が本当に怖かったです。スクリーンに向かって語りかけました。追い詰められている人たちが、その新しい手すりに出くわした時の気持ち、あなたにわかる?わかんないから明るく働いてるんだよね。後でわかっちゃったら病むわよ、辛いね、と。最後で、わかっちゃいましたねみんな、自分の仕事の意味が。ひとりの人間が三人称から二人称に変わってしまったら、相手の年齢性別出自関係なく、その人が苦しんだり、失われたりするのが嫌なように人間はできているってことでしょう。

冒頭で、養護施設での大量殺人事件を模したような事件が映し出されます。実際の事件の犯人の答弁を模したような殺人者の独り言が、ネット世論を基にしているのを感じて、心が冷えます。

老人を少ない若者で支えなくてはいけない、と危機感や被害者意識を煽る記事をよく見るのですが、日本の人口ピラミッドのいびつさは、あと20年ほどで自然に解消するはずなので、その20年を耐え抜く知恵を集めようと訴えかける方が合理的です。つまり、その間に高齢者として大きなボリュームを形成する私たちが、いかにこの20年を生きていくかにかかっています。きちんと生きて、きちんと死なないと、本当にPLAN75が国会を通過して、子どもたちの代まで禍根を残すことになりかねません。

とりあえず、個人的には「死ぬまで働く」と子供のうちから決めて、一度もブレずにやってきたので、この物語の中の「年寄りを働かせてかわいそう」なる余計なお節介はやめて欲しいと強く思いました。肉体的には弱者になるけど、どう生きるかを他人に決められたくはありません。

私が社会人になる前は、「女はいずれ家に入るんだから」という考え方をする人はマジョリティだったと思います。私の父親は、実母が戦後の窮状で過労死し、実妹が若くして事故で夫をなくし幼い子供2人を抱えて未亡人になったので、強い危機感を持っていました。おかげで「母子家庭になっても、子どもを上の学校にやれる経済力を」が教育方針で、学業については、時代に合わないくらい厳しい家でした。今になると、ありがたいことだと思います。

大人になったら何になりたい?と問われると、女児のほとんどが「お嫁さん!」と答えた世代の高齢者女性は、それぞれの運不運によって、格差が開いています。社会の空気に翻弄されるのは、とても危険なことだと改めて思います。主人公のミチさんも、とても丁寧に真面目に生きてきた人だと思うのです。特に、最後の日に出前の寿司桶を丁寧に洗って拭いて、部屋をすっきりと片付けて、部屋にお礼を言って出て行く姿が。小さな不運の積み重ねが、こんな愛すべき人から希望をむしり取ったんだな、と思いました。

ただ、キャリアを諦めずにきた私でも、定年退職後の男性が直面している「仕事が見つかりにくい」という問題にこの歳で出会うようになりました。女なので早めに来た、ということです。映画の役所職員の叔父さんは、日本各地の工事現場を仕事して回ったと語っていました。バリバリ働いていたのに、年齢で切られるようになって、食い詰めてしまった経緯が容易に想像できます。近い業界なので。

つまりは、すべては生きる為のお金をどうやって確保していくか。一生のスパンで、それをどう設計するか。そして、それに失敗して追い詰められた時、どこに突破口があるのか。問題はそこだと思います。法的に死ぬことを選べてサポートする施設もあるなんてのは論外ですが、自死を選ぶ人間が何万人もいるのだから、早く手を打ちませんと。

とりとめなく思いつくまま書きました。

楽しんでくださいとは言えませんが、たくさんの方に見ていただきたい映画だと思います。

では