映画「流浪の月」観ました。

初日の舞台挨拶付きの、2回目の中継で見てきました。

さて、何から書きましょうか。私の場合、横浜流星さん推しな上、好きな俳優さんたちが主演・共演で、とどめに「フラガール」以降全部見続けてきた李監督作品なのが「見る」一択の動機ではありました。でも、試写会を見た人たちの感想の内、「PTSD持ちの人は、DVシーンに気をつけて」の言葉に恐れ慄きました。かくして、自分としては過去最大級の覚悟を固めて視聴に臨んだのでした。

でも、実際見てみると、DVシーンより、即物的なセックスシーンの方が、よっぽど「来」ました。辛い。亮くん、もうちょっと相手の気持ちを汲みつつしようよ、ましてや暴行した後なんてあり得ないでしょ。とどめに、亮くんて、横浜さんに顔だけそっくりなので余計に腹立つ(おっと、現実逃避)。この子、ひょっとして女性に性の快楽を与えれば、自分の思う通りに支配できるなんて、B級AVを鵜呑みにしてるお馬鹿さんじゃないでしょうね。

ただ、更紗も言っていたように、本当はしたくないのは相手にいつかバレる、のは本当のことです。更紗のこの面は、主観的にわかるので、気持ち複雑です。それだけ性は相手との距離を一気に縮めもするし、相手とは決定的に合わないんだと突きつけるものでもあります。それを薄々察して、亮くんの不安も募っていったのかな、と。

そんな訳で、亮くんの更紗に対する想いを「愛」と呼びたくないと思ってしまうのです。でも愛して欲しいという願いの切実さは、こっちもいい歳なので充分理解できます。その願いはもしかして生涯叶わないかも知れないけど、生きていくしかないですね。

文と谷さんの関係もそうなのですが、この世には前提として、共に生きていくパートナーとは性的に繋がっていなくてはいけないという、鉄の掟があるかのようです。逆方向で、長い時間を共にした男女には「必ず」性的な営みがあったはず、と言う大前提もあって、これがこの物語のコアになっています。「女児誘拐事件」の加害者、被害者にされて離れ離れになった2人の真実は、2人にしか分からない。確かにそうです。ただ、性犯罪の再犯率は他の犯罪よりも高く、特に小児性愛再犯率は、アメリカのデータで9割を超えています。文を危険視するのは、「知らない」立場の者としても仕方のないことだと思うのです。問題は、事件を何度も蒸し返す人々ですね。

ネットリンチについては、様々な物語が、その理不尽さ、卑劣さについて描いてきました。とうとう死者まで出して、やっと法整備まで辿り着きました。でも、あからさまな誹謗中傷は根絶できたとしても、人々の「善意」に苛まれることから、被害者は逃げられないのかも知れません。本当は、他人のことなんてどうでもいいと内心思っているのでしょうに「あなたの為に」と言える心境が、社会性ゼロのエゴイストとしては、よく分からないでいます。

でも、こうやって問題提起はされているわけですし、今後良くなっていくかも知れません。

さて、ちょっとマニアックに。

衣装さんの仕事が、個人的にはすごく良いなあ、と思いました。大人の更紗が「普通に」生きているとは言いつつ、暗い色の服ばかり着ていたのが、文の隣に引っ越してから明るい服になって、ついでに表情も「作ってない」感じに変化していったのが、印象に残りました。それでも服は全て無地。無地を好む人は、自我が強い、なる説がありますが、なるほど更紗だ、と思います。文もすべて無地でしたね。

亮くんは、カジュアルではボーダー、オフィシャル・半オフィシャルではストライプシャツやネクタイ。縞の模様を好む人は規律を好み、安定や安心を求めている説があります。これも確かに亮くん。

谷さんは細かいプリント柄。見た目以上にしっかり者で思いやりのある性格の人という説があります。確かに!

 

今日はこの辺りで。

また行ってきます。