映画「燃えよ剣」のキャンペーン

常々思っている事ですが、日本語というのは、同じ言葉でも前後の文脈で正反対の意味を表現できるものらしいです。ドラマの中でも、「大丈夫って、OK?NG?どっち?」という台詞があったり、絶賛する時に「やばい」と言ったり、一方の意味しかなかった時を生きた者としては、最初は不思議な感覚でした。

師範が若い内から「頑固」と言われてたのもそうです。ここまで来たら、むしろ最大級の褒め言葉になっています。貫く人、ぶれない人、真っ直ぐな人と言い換えられますが、近しい人が愛情を込めてあえて「頑固」と呼ぶのは、微笑ましくもありました。

そして、「燃えよ剣」のキャンペーンでは、師範に対する評価としてついに「人間じゃない」が流行っている模様。つい、某時代劇ドラマの「お前なんか人間じゃねえ!叩っ斬ったる!」の決め台詞を連想してしまいました。そんな最大級の侮辱に使われもする言葉が、逆に愛情と尊敬のこもった最大級の賛辞になってしまう、この不思議さ。

その根拠になっているのは、共演者、スタッフから語られる、師範の超人エピソードの数々です。それらが盛った物じゃないのは、長年ファンをしているので理解しています。若い時の「少年オカダ」のチャレンジだって、あんな途方もないこと、普通できないでしょう。私の敬愛する師範は、ともかく圧倒的なのです。

つまり、「人間じゃない」状態には、「まだ人間じゃない」と、「もう人間じゃない」の、ニ通りある訳ですね。師範は、元々持っていた資質を、更に磨き抜いて、常人を超越してしまわれたのですね。でも、超人になっても少しシャイなところは変わらなくて。できる男性の含羞ほど、美しいものはありません。おかげさまでキャンペーンの数々、日々楽しく拝見させていただいています。

超人エピソードのひとつ。キャストの殺陣の組み立ても担当されたという戦闘シーンですが、ほんの少し見ただけでも、その緊迫感が伝わってきます。負ければ死。そんな修羅場にいるのですから、当然リアリティを追求すればするほど、画面から伝わる空気も張り詰めた物になっていくでしょう。「散り椿」のあの決闘が再び見られるのですね。殺気が立ち昇って見えるような、嗅覚が刺激されるような、あの殺陣のことです。視聴者が受け身で見るテレビでは、なかなか許されない残酷さではあります。映画公開の後、師範が決して手を抜かない人だって事を、あらためてしかと目に焼き付けてきます。

殺陣を作り上げる師範が、日本刀の使い方について語る言葉は、とても現実的です。刀は鉄でできているから重くて、腰を入れないと扱えないとか。史実に残る沖田総司斎藤一の剣の特徴を踏まえて、殺陣をつくるとか。総司が突き技を得意としていたのは、大河で知りましたが、斎藤一が左利きなのは初めて知りました。と言いますか、左利きの剣士が当然存在していたこと、この歳まで気が付きませんでした。なんかすごく面白い! すべてが理でネットワークを作ってるこの感じ。本当に好き。

いよいよ、明後日が公開です。今までの中で一番、見る前の緊張が大きいようです。自分としては超冒険だった長旅に出かける前日にそっくりです。経験したらまた、「以前の自分にはもう戻れない」という心境になるのでしょうか。なりますね、経験からしていって。楽しみなような怖いような。心してかかります。

今日はここまで

では