物語考>「わたし、定時で帰ります」〜人権と進歩

以前書いた「連想的視聴」として、最近ドラマ「わたし、定時で帰ります」を配信サービスで一気見しました。「きみの瞳が語りかけている」の吉高由里子さん、「着飾る恋には理由があって」の向井理さんと新井Pと塚原D。見始めたら、夢中になって最後まで見てしまいました。どうして今までこんな面白いドラマを見てこなかったんでしょう。新井Pの「アンナチュラル 」以後のドラマだったのに! 情弱にも程があるわ自分!

白状しますと、タイトルが「きょうは会社休みます」と似ているので、私の苦手なお姫様物語かと早合点していたのです。こっちのドラマは、コミックよりずっと自立しているキャラクター変更があったものの、私の世界では、嫌がっているのにいきなりキスして来る相手と恋に落ちるなんて、その瞬間、アウトですから。

「わたし、定時で帰ります」は、働くことに関わる、身につまされるポイント盛りだくさんの肉厚のドラマでした。特に、内田有紀さん演じる、子供が産まれて悪戦苦闘して仕事に向かう女性ディレクターなんて、「わかる!その気持ち」という言葉をいっぱい言ってくれました。近い立場にいた者にとって嘘なく響く言葉でした。

それから、向井理さん演じる種田さんと、吉高さん演じる結衣が、婚約寸前で破談になってしまう事件。身につまされて辛いです。「仕事と私との結婚のどっちが大事なの?」「仕事だよ」のやりとり、やったことがあるから種田さんの気持ちが分かります。倒れるまで仕事に心血を注ぎ込んでいる自分を、一番身近にいて知っていて、将来を約束までした人間から「それ」を言われる辛さ惨めさが、決定的な事を言わせてしまうのです。自分のことのように分かります。この段階で、仕事を減らせだの、辞めろだのは「死ね」と聞こえるのです。ワーカホリックは、アルコール依存症ギャンブル依存症と同様、やめろと言われてやめられるなら、そもそもワーカホリックになっていません。発端は、仕事が体質に合って、仕事が好きになったからです。脳内麻薬が出まくっているのです。

最終話で、種田さんと結衣の、この立場が逆転して初めて、種田さんが自分の過ちに気づいて、時間の枠の中で成果を出す難題に取り組むことに意義を見出す事になります。恋としてもハッピーエンドの予感でドラマが終わったのは何より。

でも、日本では定時で帰れる会社自体がファンタジーだと揶揄する海外メディアもあったそうで、現状は確かにそうかも、とも思うのです。ただ、セクハラ・パワハラが悪いことだという道徳感ですら、40年前には存在しなかったことを思えば、時代は前を向いて一歩一歩前進してきた観はあります。労働者の環境もこの先前進を続けることでしょう。昭和初期の「蟹工船」などの、労働者への酷い搾取の時代からの労働法の整備を考えれば、できないこととは思いません。

年寄りは昔話をするから良くない、と言われるのですが、生き証人として過去から現在までの進歩を語れることは、それなりの意義があると考えます。

45年前、学生アルバイト時代に、コピー機導入を「手で書き写してこそ仕事」と強硬に反対する社員を見かけました。

40年前、パソコンを技術計算に使う私に、「紙でやった方が速くない?」「機械に頼ると人間がダメになるよ」と言う人、年齢性別関係なくたくさんいました。

25年前、インターネットの初期の頃、いきなり「インターネットって大嫌いなんだよね」と言われたりしました。CADより手描き推奨派も根強くいました。

10年前、震災前辺りまで、業務連絡をできるだけメールでしようとすると、「電話じゃなくちゃダメ」と猛反対する人間がいました。

ここから現在までの変化なので、この先の未来も当然、技術の進歩と同期して大きく変化すると考えるのが自然です。技術革新が基本的に労働を楽にする方向で進んできたのだから、労働環境の整備も進むことでしょう。

労働者を楽にしようとする考え方自体が、進歩の証かも知れません。人類が、「人権」という思想を発明してから800年が経ちました。そこから、市民革命は18世紀。先進国が奴隷制度を廃止したのが19世紀。欧米で女性参政権が広まったのは20世紀。性的少数者の法整備はおそらく21世紀。現時点でここまで進みました。

法整備がなった後でもなお、あちこちで人権を無視した差別・迫害が起こるのは、ニュースを見ていれば分かります。ただ、それが社会に好意的に見られないからこその報道です。人権に限っては、時間を逆に戻すことを、人類は一度も選んだことがないので、Youtubeが発端の件の騒動も、落ち着くべき形で落ち着くことでしょう。

ドラマから、変なところにまで話が飛んでしまいました。

また、こんな風に考えるきっかけになるドラマを探して、見てみようと思います。

では