物語考>「繰り返される言葉」〜「#着飾る恋」

「#着飾る恋」を見ていると、たびたび同じ言葉が違う人間から発されるのに気がつきます。よくある脚本家さんの悪い癖というのでは全くなく、繰り返されることに深い意味を感じるような言葉の数々です。

「何?その顔」

「君(あなた)って物悲しいね」

「○○○は、どうしたいの?」

「流れるままに、水の如く」

「自分の価値は自分で決める」

「たぶん好き」

「どれだけ心配したと思ってるの」

これが、とても印象的に繰り返されました。生き方や人との関わり方に絡んだ言葉ばかりです。それが語られる状況が少しずつ違っていて、でも根底に流れる話者の気持ちには近しいものがあります。こういうの、本当に面白い。

映画でも、名台詞がオマージュとして続編や他作品で繰り返されるとかよくありますが、観客からは親しみをより感じられる仕組みとなっています。この言葉の「既視感」をうまく使ったラブコメ、詩的な表現に特に反応する視聴者に刺さるでしょう。

「#着飾る恋」では、言葉だけではなく、そっくりの行為が違う人間によって繰り返されてもいます。

2人の恋のライバル同士、駿くんと葉山さんは、ある時いきなり周囲の人に何も告げずに姿を消して、連絡も取れなくなっていた点が同じです。2人とも、仕事絡みで次のステージに移動するためにそうしたのですが、天才的な才能を持っていても、人と仕事をすると思い通りにいかないことが増えてきて、ある時、臨界点に達したダムのように決壊する、みたいな。

転職する場合、元の職場に在籍している内から就活するべきとよく言われていますが、一度完全にリセットしてからでないと次に進めない、という人もいます。2人はそうなんですね。私もそうでした。

だから、気持ちや状況の区切りがついて、迷惑をかけた人に真摯に謝罪する言葉に、胸がキュッとしました。なんだかんだ言って、2人ともいい加減な気持ちだったわけじゃなかったんですよね。真柴さんの好きになる相手は、どこか似ています。

そして男性2人が、真柴さんをかけがえのない存在だと自覚してバチバチやるのも、彼女目指して街中を全力疾走するのもそっくり。ライバルと対決すると決めるまでは、2人とも呑気な顔してたくせに。

さて、もうひとつの恋のライバル同士、真柴さんと葉菜さんも似ています。美しく可愛い上に男顔負けの優秀な仕事師で、しかも一途なところ。どちらも献身的に支えていた相手にいきなり黙っていなくなられるところも同じです。そして、もしかしてだけど、去った相手に気持ちの区切りをつけた後、恋愛感情が減衰・消滅するタイプですね、2人とも。実質、ライバルじゃないのかも。

違う性格の人間の行動が時々ひどく似通ってくるのは、恋と仕事、という生きて社会を形成していく上で欠かせないくせに、簡単にロジックだけで割り切れない曖昧さを持ったものに支配されているためだと思うのです。絶対にダメな道を捨て、その上で選んだ道に勇気を出して進むしかないんですね。

突然ですが、ここまで来てひとつ気がつきました。真柴さんの自分の価値を低く見積もる悪癖です。羽瀬さん、シャチ社長、駿くんに対してもそうでしたが、葉菜さんにもそう。人の優れたところを認めるのは良いけれど、それに引き換え自分は、と考えるのは良い結果を招かないと思うのですが。面と向かって褒めてくれる相手、駿くん、香子さん、葉山さんになぜか言葉で返さないところも。何を思ってるのかな。微笑んでるけど、心から喜んでいないように見えてしまいます。他の人のことはよくわかりませんが、この性質は登場人物の中でも特異なものかと思います。

この鎧は、今まで脱ぎ捨ててきた物とは違う次元の手強さがあるように思います。謙虚さを他者に要求する日本社会の中で、ミドルインフルエンサーにまで上り詰めた自分の凄さを、もっと認めて欲しいと思うのです。こういう子、とても好きだし、応援したいのに、こっちももどかしく思います。

真柴さんをめぐる恋は、不完全ながら三角関係から四角関係になりました。どうか、自分の納得いく幸せな人生を。

今日はここまで

では