さて、超絶引きこもりのアラ還おばさんが、いかにして旅女となったか、を解説する意図で始めたヘッダーですが、具体的な旅の話はこの際すべて割愛することにしました。
10日かけての東北•北海道城巡りを2017年と2018年の夏季休暇に2年続けて敢行したのが最大の冒険で、一人で飛行機に乗って沖縄にも行き、宿も予約せずの行き当たりばったり旅もゲームとしてやりました、とだけ留めておきます。たぶん、私が一番言いたかったのは、そこではないからです。旅の効用について、書きたかったのです。
20歳の時、精神科に連れて行かれて診察してもらったことがあります。診断は「典型的な対人恐怖症」ということでした。今もその頃とあまり変わってはいない気がするのですが、人が苦手で引きこもって暮らしても、普通に生きていけるのが都会暮らしのメリットです。子供を介した社交も極力回避して、それも娘が学齢を脱したら無くなるので、後は出来るだけ人と接することのない仕事だけ、と。
でも、この人嫌いが過去のろくでもないトラウマから来ているのは自覚していたし、出かけていかないのは、単に怖いから諦めていただけなのです。それが「死ぬまでこのままだったら、何てつまんないんだろう」と考え出すのがアラ還という年齢です。もう先があまりないのです。しかも、更年期を脱すると急に心身元気になるから障害も減ります。
さて、出かけていくと、嫌なことは確かにありました。どこだとは言いませんが、バス待ちをしていたら、若い女の子にいきなり傘の水を顔にぶっかけられたり、バスの途中から乗ってきた女子中学生たちに「あれ、ジジイとババアしか乗ってないや」と言われたり、宿の受付が死ぬほど無礼だったり、城のスタンプをお願いしたら舌打ちされたり。
でも、素敵な人にはもっとたくさん出会いました。案内所や城内や管理事務所の方達には、本当に良くしていただきました。地元の城に誇りを持ってらっしゃるのが伝わってきて、素敵でした。
松本城では、天守に登るのに尻込みしているところを、「せっかくここまで旅して来たんだから」と励まされ、おかげさまで無事登れました。
駿府城や秋田城では、ボランティアの方に丁寧なガイドをいただき恐縮です。楽しかったです。
それから、街の行きずりの方達に親切にしていただいたこと。
雪の岩村城では、雪かきの街の人が「お気をつけて」と声をかけてくださり、城内では「転びにくい歩き方」をすれ違う方が教えてくださいました。あんなに優しくされたのはいつぶりでしょうか。
北海道では、最寄りの駅まで車でお送りしますよ、と声をかけてくださった、上ノ国の方。断ってしまってごめんなさい。10日に渡る「自力でどこまでやれるかゲーム」の真っ最中だったんです。でも、嬉しかったです。
座喜味城の石段を杖をついてソロソロと降りていた時、駆け上って手を貸して下ろしてくださった観光客の韓国人家族の方達、本当に嬉しかったです。国同士では色々あるけど、私はあなた方の幸せを今日も祈ってます。
混んでいるバスで「ここ、空いてますよ」と声をかけてくれた古宮城の男の子。この年齢の男の子には勇気のいることだったでしょう。
横断歩道手前でよろけた時、「大丈夫ですか?」と駆け寄って来てくれた大多喜城の女の子。声をかけてもらっただけで、心がすっと楽になるのって不思議です。
他にも書き切れないほどありますが、皆さま本当にありがとうございました。忘れません。
•••こんな体験を積んでいくうちに、私の内側で確実に何かが変わってきました。いえ、人嫌いは相変わらずなんですが。前にも書きましたが、土地の名前はもうすでに記号ではなく、名前を聞くたび、風景が蘇ると同時にそこで出会った人たちのことを思い出すようになりました。スーパーで野菜を買うたび、産地の県名を見てキュンとするのは、たぶん不治の病だと思います。そして、災害にあったニュースを見ると、すぐに寄付先を探すようになりました。だって、知らない人たちじゃないから。
嫌な人はどこにでもいるのかも知れませんが、いい人も素敵な人も確実にいます。これはもう、私にとっては一般論ではなくなりました。これがどれだけ幸福なことか。私は、旅のおかげで日に日に幸せになったんだと思います。まとめると、これこそが言いたかったことなのです。
「ナラティブ•セラピー」というジャンルがあります。過去に縛られて苦しんでいる人に、物語ってもらうことで人生観への昇華に導く、でしたか。詳しくは知りませんが、語ること、書くことがトラウマへの有効な治療手段であるのは身をもって知っています。ですが、旅の効用はそれを超えるのではないかと思い始めています。世界のすべてに見えた家庭も学校も職場も、外に出てみればずいぶん小さな箱の中に過ぎません。それが実感できるのは、旅です。言わば、旅は自分という物語のスケールを広げてくれるのです。
今、こういうご時世だからなかなかできませんが、もしまた自由に旅ができる日が来たら、もっとこの幸福が広がっていくんだと信じて、まだ見ぬ街に出かけていこうと思っています。
今日はここまで。
では